見つけてしまい ・これは凄い

週間俳句 松山巌インタビューというのを読む。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/09/blog-post_8351.html
都市構成は都市構成で人間の心理的リソースが湯水のように
(内在しないものとして)取り扱われるという話が嫌いで
ピンとこない。脳科学や神経工学もだから分からず、そういうものが器質をすり減らすとして、どうしても私じゃなきゃダメなのか、
と思う。

というのもやはり94年頃に「都市という廃墟」を読んだので
都市構成と記憶みたいな事だと納得いくものも多々あり、その分
変なオペレーションや精神病理学的な出来事ですり減るのが悔しい
のだと思う。ベンヤミンを見ながらつくづく、自分は読んだ本に即して考えたいんだなーと思う。
困惑するんだが多分それはやっぱりどうでもいい、量産が目的の本じゃない気がする。なので「俺は本の量産が目的でお前の生活をパクる」と言われたら、普通の本読むのに邪魔で困ってしまう。


地味にダイエットに成功してしまい、月初めに着衣で50キロ近くあったのが今47キロ切りそうになった。(身長161cm)今までで一番少ない体重なのだが問題は、何で体重少し増えたのでダイエットしようか・・・と思った瞬間、内田樹先生がしつっこく同じような事し始めたのかという点で、他にもいろいろパクられているのだが・・・
コスミックエンザイムというのを使って2日で3キロ近く体重が落ちたが、それまで人の動向を監視してはギャーギャーうるさい60代男性の空回りが壮絶うっとおしかった訳で、悪いけどこの人たちの感覚を経由しなければ比較的すっと色々な事がうまく回るのではないかと思う。神戸女学院大学自体がなんかあんまり程度の高くない女子大という気もする。他人のものをパクリ逃げする名誉教授が居る時点でどうでもいい女子大という気がするが(大体私は女子大文化みたいなもの全般に否定的で、昔ミッションに通ってた超美人の友人がノイローゼのようになった時に、大して美人でも聡明でもないのにねじ込まれたタイプの生徒が幅をきかせるようなシステムにゾクッと来たのだった)

20代とかせいぜい30代までの女性に対して、その年代に即した
やり方で何か身につける事を許せない5、60代の男って最悪だと
思うのだが。2013年なのだからそれに即した方法ですればダイエットだろうがエクササイズだろうがうまくいくという時に、いきなり
私生活をホールドしてギャーギャー騒ぐオヤジに仏文学習うのなんて絶対無理、と思う。
私がとばっちりうけて巻き込まれる必要なさすぎと思うのだがどうなのか。異常なまでのしつっこさと全然仏文学と関係ないじゃんという気だけがするのだが(ほんとに共産主義国のフランス留学してた独裁者とかのセンスと近い。ポル・ポトとか金正恩とかの直情性を感じる)
別段研究者でもなんでもないが家に居るとゴダール見てる時の身内とかの方がよっぽどリベラルな気がするし、第一私の生活にも自由にも(成人以降正当に)干渉されないのだが、なんなのか。