幻想とは別

生物学的に根拠のないものの象徴的な価値みたいなものがあり、そういうものは「食わせる父性」みたいな実際的かつ形而下的なものより価値が上なのだみたいな話(ここまでの話はラカンだと思えば凄く納得するが、普通の生活する世帯なり子持ちのお母さんは一切関知する必要のないものに思う)と、そういう父性の不合理さ(ユダヤの神って結局非合理の総体に思う)と幻想の上位化というのは、話が見え透き過ぎていて、端的に考えるだけ時間の無駄なのだと思う。要約すれば廃棄物としてのボリュームが把握しやすい幻想に他人を組み込むのは、確かに呪いに似てるし、その幻想も所詮男性更年期的な経緯で実体から遊離したものに過ぎないとすれば、象徴的な価値をそこに見る必要なんてないのではないか。糸井さんみたいなクリエイターのしてる事見るとつくづくそれを感じる(「お達し」として手帳の種類がいくつだとかどうでもよい)。
ユダヤ陰謀論も生命観に基づいてない(というかFIXの甘い)父性や、単なる超越性としての父親が在るという事を前提に
しているのだが、金融行為や陰謀にそれが関与しているかどうかはよく分からない。少なくともその場に立ち会った事が
ないし、それが兵器を駆使して衝撃を与えているという話は殆ど不謹慎に思える。
ただそういう、理解に時間の掛かる父性のダブスタを前提にして、情報を混乱させたりよく分からない言説を振りかざす
人が居るのは確かなような気もする。それは恐らく世間の生物学的父全般じゃない。よく分からない。
 カフカのときはもっと酷かったのではないかと想像する。が、それを背景に具体的になったものが沢山ある
のではないかというようなことをぼんやり考える。
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 通常の(理性的な)構成の内部では、理不尽で超越的な父と自己意識が直に往還してるような次元は問われない
ラカン的に言えばそれは「斜線を引かれて」いる。その事によって実体的な現実的力の中で言葉とリアリティを
確保し、「いつも苦行のことだけを思い浮かべない」)。
だから自明性は崩壊せず、人はパラノイアでなく、自己意識の一回性が引き受けられる。でもある種のメディウム
ある種の構成では、それが予め破れて居る、という話。
 破れ目を作るのに強い外在的な力が働いて、それがユダヤ教に起因しているのかもよく分からない。
         
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