襟に依る

 風が襟に依ってよく見えるようになる時間があり、その瞬間に居ようとする。
地べたで溶けた光の中に半分揺れながら置き忘れられた、長い麻布のリボン。
その二つは布だとしても、湖を囚人みたいに渡らされてきた。そのときに、
あたりを取り囲むひとの眼を、欠けていくものとしてとらえようとした。

               ♪

 納品とかメーカー確認をする。やっぱり「普通のメーカーの営業さん」は
何するにも一番信頼できる感じ。宜しくお願いします。

 上記表題付近のようなたわごと(及び下記の下記のような批評文)とはあまり関係なしに、
出来るだけ楽しく、安心な気分で過ごせる内装を提案しますので、今後とも
宜しくお願いいたします。


 「本来性という隠語」。アドルノを読んでいる時によく感じる、三すくみみたいな感覚が
ある(否定神学的なものに付き纏うものなんだろうか)。これとこれが否定されて、これも現実
的な態度としては、あまり歓迎されない、という感じ。ちょっと辛い。
 ナチスの台頭の頃に、ハイデガーの哲学が当時の市民社会にどう反映されていたかの詳しい
検証なのだけれど、今起こるファシズム的な構造の出来事も、やっぱり死を指し示す<隠語>を
中心にして形成されている(ある種のコピーライトとか、過度に広告的な表出が、超越性に対
する贄の存在を暗にほのめかしている)。でもいきなりそういうものから心理的な距離をとる
ことが、必ずしも出来ないわけではない、と感じる。というよりは、別にハイデガー的でも
ファシスト的でもない大多数の日常性は、当にそんなものの潜勢力なんて無視する方向性で
生活を組織している訳だし。(どういう形でか、「自然史」という概念をちゃんと解りたい
という気がしている)。