水から上がったばかりの蟹

bobbinsmall2011-10-21

も、造形は優れていると思う(龍もすごいが)。
水泳のことを考えて、最後に水着買ったのいつだったか
と思う(アリーナのセパレーションなのだった)。
「内面が引数になる」って、無機質な文面だけど怖い感じで、
何故そんなことが許されるのかよく解らない(脳について
よく解らないのだけれど、神経反応だけが過剰になったら
やっぱりそれは運動に向いていないという事なのだと思う。
そういう状態を擬似的に作り出すとして、脳科学者に何が
解るのか?)。
蟹とかそういうのも何でそういう生命が水辺に居るのかよく
解らない気がする。すごい不思議。
無機質な生き物は却って内面(内部の構成)が引数になって
互いに意識にあたるものを情報として交換しあっている方が
生命体として上手く運ぶのだろうが(同列のモノとして過ごし
やすい)人間はそういう風に精神状態の閾値を設定していない
訳で、やっぱりそういう事が起き得るのなら閾値を正常化する
努力があっていいと思うのだ。

          ♪
・・・と、中井正一。この「・・・と」みたいな自由間接話法の在りよう
を信じてる訳じゃないのだが、何か中井正一と精神の閾値の変換
点のようなものが自分の中で重なる。凄く。
こんな事10年近く保留になってるんだものなぁと思う。仕事から
帰り際、所字して砂を浚ってるような時間と、単に生きていて
自明性を感じてる時間と、二つあって良いのだろうと感じていた
事を思い出す。(四次元が射影していたり三次元過去把持とか
二次元という形式があったりするのもそういう事なんじゃないのか)。

         ♪
写真はタノシ、沢山撮ろうっと。
ダイアン・アーバスの実物を美術館で見た時に、色々と
考えさせられるものがあった)。
木の枝の芯の部分が青くて、内側が毛羽立っていてユラユラ
揺れているところを風を浴びながらゆっくり歩く、という
シーンを断続的に思い浮かべる。

        ♪