bobbinsmall2012-07-23

谷川健一を読みながら。毎年地名研究所に行こうと思いつつ果たせていないが、すっと水平に広がる、とても具体的な感覚(現実ではあるが何ともいえない中間的な質が織り込まれている) につきあたる。
「魔の系譜」の中の「バスチャン考」をぼーっと読みすごしてしまった大昔、そんなに意識していなかったがやっぱり
明確にカルトの思考法(それは顕在化し得る)と陰気で、シンプルで内的な、キリスト教的なものを分けていた。

電磁波での攻撃、以前に、そもそもそれが心理的素材に掛かり得るものなのかよく説明出来ない。ものが見えるのは電磁波のせいだし、780nmから380nmの可視光線を分離したのが見える色、という事は普通に科学的常識だが、人の器官の中でそれがなぜ(例えば虹の)色の印象を持つのかについて、生理学的な関心を持って遡行する権限は、「スピリチュアリスト」とか大袈裟な超越的命題(例えば宗教の)に委譲されても仕方ない。
にも関わらず、何だか人の感覚からそういうものを超越的に取り出せる、という考えが蔓延しており、あまり準備もないまま感情に障ると、電磁波で攻撃されてるように感じるのではないかと。
ただ、器官に備わる感覚を分析するのに、電磁的手段が使えるのであればそれはすごく杜撰に使われる可能性があり、そういう権限がカルトに委譲されている(結果的に何らか電磁的な被害に遭ってしまっている人が一定以上居る)、という事なのだろうと思う。

当たり前だが求心的な新興宗教は、個々の記憶にかかるインティメートなものに配慮なんかしないだろうし、そうじゃないから増強出来ているのだが、もう少しまともにそういう求心性に対する違和感を伝達したほうがいいように思う、そしてその違和は常民と言われた人の感覚に予め備わっているのではないか、という気に。
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必要があってずいぶん前に作ったプレゼンの資料を整理しつつ、結局常識感覚が大幅に狂うか感覚する事柄を利権団体に丸投げした人が、しつこく滞留してるのがおかしいのじゃないかという気に。