啓示

エピファニーについて調べようと思っていたこと幾つかを思いつつ、なるほどなというお話を幾つか伺う(そういう時ふっと色々と過ぎる感覚が変わるような気がするが多分まるで本質的な事でない)。

ip20のユニットがほんとに板だけで綺麗に組みあがるか気になるといえば気になる。

困惑しながらしか書けない事なのだが(ただこの困惑という事自体ちょっとドゥルーズ的で悪くないという気がする)。
ドゥルーズドゥルーズ=ガタリを単に額面どおり受け取って読んでるぶんにはそんな大それた性格ブスにならない気がするが(ガタリの文章から臨床に当たる人のセンシティブさと状況を前にすすめようとする身体性が相互往還してるようなものを感じ、当然それは精神分析的でもロマン主義的な狂人についての言及ではないのだが、要はそういう人が身の回りにたくさん居てどうにかしてあげたかったんじゃないかと思う)、単にドゥルーズならドゥルーズで有名になりたいとか現代思想で食べていかないと帳尻があわないみたいな事情をもとにドゥルーズを読むとどれだけいびつで手前勝手な事になるのか、ちゃんと検証すべきなのかも知れないという気がする(もし人間の浅さというのが実体としてあるとすれば、薬物中毒だったり突飛な事すれば注目を浴びられると思ってしまうボンクラさとして露呈するような気がし、それはあんまりドゥルーズと関係ないし社会的にも迷惑なのでさっさと収監してしまえばよいと思うのだが)。
当たり前なんだがドゥルーズベンヤミンも大抵の哲学者だの思想家は事物のテクスチュアルな質量を凄く重視しているように思えるのだけど、そういうものより中枢神経障害とか神経刺激による興奮の方が重要なのであれば、そういう(脳の科学的な)プロセスを経て現前するものを別に哲学とか概念と呼ぶ必要はないような気がする。そのあたりがとめどもなくごちゃごちゃなので、一瞬すごい難解な事を言われている気がするというだけの事だと認識した。

読んでないのにそういう認識になる時点でかなりダメ

ベンヤミンは陶酔論があるがベンヤミンやっぱり文章が
明確でいいと思う。
ユダヤ教だの旧約・新約のある世界の人という気に。