きれいな女/いいひとおばさん

(これは10年くらい前に、ウルフについて書いたもの。ヴァージニア・ウルフ
怖いけど、すごく好きな、おばさんの気がしていた。私はある「彼」として
それを眺め、突然時間を短絡させて成長する。)


 かの女は犬をなつかせないか、犬になつくだろう。中に入るかもしれない。
 いいひとおばさんは雨の日に、窓の外をひょうひょうと歩く。にわか作り
のたてものみたいなおかしな帽子が揺れて、頭だけで生きているみたいだ。
 ぼくは部屋の中で水色のガラス越しに指をぱちぱちならすか、時にはまだ肉
の完全にそげおちていない動物の骨を、かの女に向かって投げつける。
 いいひとおばさんは、ぼくを見上げ帽子の下に隙間の多い笑顔を浮かべる。

 ぼくは窓の外に出た事がない。いつも自分の大きさをきちんと掴む事が
上手くゆかないので、外へ出るのに失敗する。いいひとおばさんはゆらゆら
しているが、それでも濡れて短い草の生え出た地面を歩くし、丘の上にそびえる
丘よりもずっと濃い色の墓石の上でスカートを小さくそよがせていたりするので、
かの女が自分の大きさを測り損ねているということは、ないのだろう。
(きっと、そうだろう)。太陽がまばたきをしながら、かの女のことを照らし
だし、つかの間その輪郭をはっきりと僕の手のひらにうつし出す。それなのに
僕はまだ部屋の冷たいひろがりの中で、自分の出方を決めかねている。
 息をつめて、歌を残してーー王冠がある朝かの女の滑稽な帽子のかわりに、
ぼくがいつかかの女の頭に載せるときのために、届けられる。
 突然使命を帯びた身体はもう伸び縮みすることをやめ、手にした金の王冠
は不思議な苔のように輝きを地に残す。その中には息と歌が、どこからか押し縮め
られたように響いて、ぼくの目の前の街をゆるがせにする。
 水色の窓の下では、双子の葉が道を覆って、濡れた輝きを葉脈の下にふせている。
新鮮な緑の網目の下を、数百の凍えた目玉が移動する。微妙な決意の色がためらい
ながら見え隠れする広い陰のある頬ーー頬。唇やら腕の端をあつくする五月の風と
船。
 いつだって認めあえるときは一番よい素敵な日で、それは優雅さや悲しさとは
あまり関係がない。かの女は理解と承認をもとめてしばしば際限をなくした。い
つの時代もこの世の一部では、すり切れる寸前のところまで考えを推し進める人
が生きられているのに、世界と何かが変わるということはあり得なかったし、か
の女も僕も、その事を望むのではなかった。

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 それから、ある考え方とか習性は単にあっていいように
思えて、現実はその、昔やり過ごしたきつい憎悪とか愛着
の、密度の変わった名残でもある。
 再演は、現実を平穏に確保したうえでのみあり。
 
 
 綜合された翅

 
 手のひらの中で
 硬くもみ合わせた水
 色の中に浮び上がるのは
 綜合された翅、その他


 飛ぶ機能
 謀られてはいず
 ひたむきさと疲れ知らずと
 性のなさ 



 時を覆う場所
 二節目に
 祈りと空虚


 綜合された翅
 触れるからだは
 空に預けられる 空に流れる