洗脳・レイプ・言語芸術

 全部が断片化した跡の形跡や痕跡が、再度
身体に登録される事。痛みと、それが生き分け
られている身体の階層が、数度虐待や毀損の対象
になる、ということを、ただ即物的に書く事。
 たぶん、その事によって救われるフェミニティ
はあまりない。ただ、稀少ながらに書かれる事
が、感覚の基底の部分で起きた変化とか、それに
伴って見えてくる現実の質的な違いを指し示すの
なら、そういうものとして書き残す事。
**********************
 上のような動機は、最終的にモダニティに基づいて
いる、としか言い様のないもので、一貫して自分の
意識の領域にたち現れてくる「もの」は、それでしかない。
けれど、現実の中で使われている技術と、権限を負わされ
ている神学が、言語芸術の中に強くモダニティが刻印された
時期とまるで違う。
 まるで違うにしろ、身体を(幾らかは)切り開くように
して、その違いについて神学と切り結ばずに書くこと。
わたしはどちらにしろ、それでよい、と思う。
(ディキンスンの詩に入っているような切れ目や言いよどみは、
多分科学的に精確なものだ)。