痛切な面白さについて(メモ)

 P・ウ゛ィリリオが「幻滅への戦略」の中で書いているような
委員会が、結局個人(ひとという個体)の意志を反映も表象も
しない、そればかりかその委員会の中で優位に立っているもの
の都合のいいようにしか、結局は現実を書き換えない(可能性
がある)という考え方には、何か痛切な面白みがある。
 多分その面白みと痛みに耐えるために、色々な超越的な神性
を持ち出す必要があるだろうけれども、結局はそんなもので賄い
きれないほど、生起している事は面白い。
 カフカの小説やムージルの小説と同じ質の面白さ。痛切な面白さ。
 実験科学によって外傷化されたディメンションがあって、その上で
動く女が全部ミソジニーの対象になる、という仮定も(もし出来ると
したら)面白い。
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 誰にも見透かされず1人で部屋に棲む事。調度。
 夢の中で、外部の声の煩さは、特定宗派のなかで「まわされた」女が
集金のために発しているものだ、と思っていたのだけれども(まわされた
ことの形跡を消去することも含めて、身入りを求めなければいけない)
それが段々、白い寝台の上にべったり塗り広げられた青い、
半個体状の広がりのなかにおかれて、きいきい言う音素になる。
その寝台の上で寝ると、音素は内耳化される。