言語の外傷性

花弁の多い花が昔からすごく好きなのだが、それが全部文字(的なもの)で出来ているという感覚が沸き上がることがあった事を思い出す。何だか淡々と、悪い感じではなく傷みやすい感じ。
(ギリシャ神話が分かるのに対して、鬱蒼とした話に馴染めなさを感じるのは、やっぱり花物語の影響が大きいのだろうなと感じる。通りかかった店先にヒヤシンスの鉢植えが売られていて、水栽培した時の事を思い出したのだけれども、ヒュアキントスという人が円盤投げの最中に負傷して流した血から出来た花、というストーリーが、自分の中ですごくリアルで痛い、けど言葉ってそういうものなんだ、と感じられた。その時まだ色々な事が未分化だった。七才くらいの事だ)