某コピーライター

コピーライター(っていう職業自体??という感じなのだけど)の人相とか終わり方みたいな事について。
十代のはじめ位に、酔って階段を踏み外して亡くなった某コピーライターのエッセイを割とまとめて読んでいたのだけれど、何だかそういう本にはまったのも周りに詰まんない事だらけだったからで、今考えるとコピーライターという仕事とかそういう死に方も80年代に6、70年代を持ち越した人の遺物だったのよねーと思う。
そういう人が苛まれる暴力衝動と変なオカルト衝動を、深夜番組論にしたら80年代の在庫整理が出来るんじゃないかなぁ、と思う。 というか、その人もそうだけど、やっぱり終わっていく直前の人相が凄いよねと思う。何でこんな顔つきなの??というか。
なんとなく、死の予感とかを一回も真っ当に自己と折り合わせられずに、そのままげろげろにメルトダウンしていく人相という感じ。(ブランショとかの在り方と真逆のものを感じる)
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 外に出るときに履いてる靴のかかとを打ち直しに行かなきゃいけないなぁと思いながら、何かこう、自分とそういう「80
年代に6,70年代を持ち越す現象」に妙な因縁が出来てしまう最初のきっかけは何だったのか、正確に考えようとする。
 (あたりまえだけど周囲に「色んな大人」がいることの範囲内で、私の周りには昔学生運動に関わったことのある
大人とか、何かアナクロ二スティックなものとかがごちゃごちゃしていた事がある)。
 でも、それをはっきり感じたのはやっぱりオウム真理教の事件の時で、その時は「別に考えなくてもいいような本質的な
こと(暗いこと)を整合性の取れた現実のなかで考えつめようとしたあげく暴発した人たち」、くらいにしか認知出来なかったのだけれど、改めてそういう精神性の突出と、ある主体と客体としての認知の変化を問うたりすることは、すごく
今っぽいことなんだなぁ、と思う。その事にどうテレビが関わっているかとか、そもそもメディウムが問題にする個人の
内的な領域は何なのか、とか、考え出すとキリがなくて面白い。
 面白いんだけど、それが「クリエイター」とかの過去の遺物っぽい人の領域に紐付けられている限り、ほんとに具体的な
時間の推移を追えない気がしてもどかしい。