快晴

 電車に乗って移動してると、日立製作所光トポグラフィー技術を使った疎通装置の社内広告
が見える。それで胡乱な言葉で書いていたような技術が、別に妄念でもSFの世界の出来事でも
ないんだなぁということがはっきり解る(私は、日立製作所はよい会社だと思ってます)。
 改めて書くが、人間の意識領域は、ある科学的に卓越した主体が包括して語れるような形状を
してません。光トポグラフィーが、疎通を失った人と現実のラポールのために使われることには
希望があるけれど、その逆に発達を遂げた人の思考と現実を乖離させるために使用されてるとした
ら、どうしょうもないなと思う。
 脳科学という学問にそれ単体で関心を持ったことはないけれど、「社会的脳」という本から
続けてマイケル・S・ガザニガというアメリカの脳科学者の本を読んでいて、結局は科学の先鋭化の
部分に渦巻いている利権の大きさとか、時勢とかいろいろな国ごとの文脈を覆い隠すためだけに
招来されている情緒的ムードがあるんじゃないかなぁ、と思う。なんか暗い。耐え難い。
 それに加えてここ2、3日、ある方面からだけ異様に先鋭化したドゥルーズの読み、ということに
ついて考えていた。
ドゥルーズが、「カントの批評哲学」について、自分はヘーゲルを敵視するけど、カントに対して
は敵に塩を送るような立場である、みたいなことを書いていたが、それを本当にアクチュアルに実践
したらどうなるのか、みたいなこと。それで冗談のようなことになっている領域があるんじゃないだろうか。
私はドゥルーズが今でも好きだけれど、だからこそ下らないことで過剰に生命化したくない、と思う)。

 あんまり気分のよい晴れ方だし、新しくつくり始めたものがあるのでちょっとわくわくする。

 母に中井正一のことを説明しようとして、いつもあまりうまくいかない。けど話したいなぁと思うのは仕方
なく、治安維持法と思考の変容みたいなことをちょこちょこ伝える。