ソクーロフ

茂木さん、、日本語について、またちょっと私のパクり??
というか、今年私も商業出版に漕ぎ着けられるように祈って下さいよ、と思う。書くべき事がすごく沢山あるし(ちょっと前に家のものと、今年日本に居て、いよいよヤバいくらいの危機を感じたら、フランスに亡命申請して向こうで結婚するわ、フランスその筋の人たちの狼藉に厳しいし、ちゃんと理由を書けたら亡命するに値するだけの目に遭ってると思う、と言ったら、あっさり「いいよ、頑張ってね」と言われてしまい、思わず笑ってしまった。なにそのあっさり感。本当は徹底して人の事無下に扱う暴力的な人たちの告発をすべきだと思うのだけど、今までその人たちがしてきた事考えると、難しいかもねと思う。人間としてもの考えるためのモジュールが最初からぶっこわれてるのが多いし)

「太陽」を見たときの事を思いだしながら、なんだか「天皇は好戦的な存在じゃなかった」というのが、つくづくいい話だったような気がしていた。
(とは言っても、私はいわゆるナショナリスムに暗くて、思想としても分かんないし、情動としても何が何だか理解出来ないところがあるんだった。たまたまSAPIOみたいな雑誌を待合室のようなところで読んでしまった時に、全体が却って一回も自分の国についてまともに考えた事がない人間の壮大な御託みたいに思えて、キャー、怖い、、、と感じた。精神性を演出するために無理に何でもやりそうな感じというか。それってある種の全体主義国の事で、日本ってそんなギタギタしたゴキブリみたいな昆虫的情念だけの場所じゃなく、無風地帯みたいな場所が適宜あったはずでしょと感じるのだった)。
年末に映画のイベントに行ったときに、「エルミタージュ幻想」が映画館にかかった時ちゃんと見にいくべきだったなぁと反省した。長回しで全体を映した宮殿の内部って、やっぱり無風地帯みたいなところに違いなく、そういうところと周辺の環境のコントラストがくっきり描かれていれば、そこにはやっぱり何らか国の本質みたいなものがあるように思える。