仕事が終わってからまっすぐ帰るまでの間に、詩を2つくらい書けそうな意識状態になるのだけれど、あんまりにも昼間に色々な作業をしている時の思考状態と違うので、自分でもびっくりしてしまう(詩がどうとか関わりなく、実利に基づいた結果が出ると嬉しい限り。当たり前の事だけどどうにかなるのね〜^^と嬉しい気分になる)。

以前SPI試験の二種を受けた時の会社の規模(というか、そもそもどんな会社だったのか)を調べていたのだけれど、基本的にブラック企業じゃなく、別に恥ずかしい代物でもないので、人から見た私は別に問題ないんだろうなぁ、と思う(大体過度にストレスでも溜めてない限り、細かい作業が好きだしある程度コンサバな感じの方がまともだと思っているし)。あと以前、面接後すぐに採用の連絡をくれた浅草の家具屋さん(とらばーゆで探した)も結構雰囲気のいいところで、気味悪い代物ではなかった。 ♪
労働を問題化しようとする人のうち、あからさまに働いたことがない(大体面接さえ受けた事がない)人間は、何の価値もないのだからさっさと外せばいい、と私は思う。

ここに来てつくづく、普通の企業では仕事出来ないわ、他人に嫌な思いをさせるわ金ないとゴネるわ、何かフリークスみたいだわ、、、っていう人たちが、何で自分に絶望せず普通に生きているのか、つくづく不思議な気分になる。
それに輪を掛けて「体調不良」とか言われた日には、どれだけ人としての価値が薄いのか見当もつかない、という気分になる。


「美は匠にあり」が、単純に好きで素晴らしい本だと思っている。白洲正子さんについても、白洲次郎さんについても知らない事ばかりなのだけれど。
野口兼資という能楽師が、策略から毒を嚥まされて口がきけなくなったというエピソードについて触れられていて、その事を指して白洲さんは「昔のお能の世界は、それだけ酷いところだったのかも知れない」と書かれている。多分この何年か、昔の芸能の酷さに匹敵するような、ちょっと説明のつかない目に逢ってきた私としては、何となくこの文章が身につまされるのだった。
それにしてもある意味徹底が足りないというか、酷い状態を私に強いて何らかの真理なり結論に達しようとしてる人の、半端で頼りない感じが私は凄くイヤなんだよね、と思う。