98年のノート

bobbinsmall2009-02-12

今より数十倍内省的だったかも知れない、と思う(これを書いた頃、人の思考に内在するオブジェクトの意味を無理に問うような出来事が、日本でも起こるような気もしてて、何となく別のどこか、のことを考えることも多かった。ある政党を持っている宗教団体と私は折り合いが悪いけれど、けして神学全般に悪意がない事と、人間なんて技術的に存在を測量しても解明出来ないことだらけだとわかって貰えればいいなぁと思う。というか、ごめん、その宗教団体の業の擦り合いみたいなところと、ある種の男性のゴキブリみたいな存在感は、私には絶対ムリです)。


意識が現実の対象を見つけることが不自然に思えてしまう私に、<現実>は訪れない。けれど絶対に裁かない、全肯定。そんなふうに気づいたとき、色々なものにある種のまばゆさが書き加えられた。その中で私は自由だった。壊れたまま、ということが気にかかる時、私は愛するもので、単に想像的でしかない美に代わって具体的な思考の流れをこの世界に塗り広げる。

メランコリーとしての神が、初めは如何なる倫理も持ち合わせていないことが、私及びいまの中で考えだそうとする魂を脅えさせ、悩ませる。だから初め私は沈黙を守ろうとするもの、如何なる文体も持たないアグラマトゥスのようなものとしてこの世に現れる他ないだろう。
肯定の身振りについては沢山の本が書かれたけれど、ある圧倒的な自己否定の念が含まれた憂鬱については、それほど沢山のことが言われた訳ではない。目の前に現れてくるものの正否の判断をする機能は、思考の一体何処に組み込まれているのか、という思いに絶えず囚われる。
でも生唾を飲み込みながら身体があるし、私がいる、と感じる。 ♪

上のようなことを書いてた18の頃は、まだニーチェが読めたのだけど、その後ナチの解釈より屈折したニーチェ的感覚の氾濫ってあるような気がして、私はこれ読まなくてもいいな、と思った。
その代わり必要なのは、単なる現象の現象性だ、みたいなところで、私の意識についての考えは終わっていて、ただひたすら生活と詩の実作に切り替えていったので、噛み合わない部分が多々あるのかも知れません。
それにしてもこの手の手帳とかノートが、二十冊かそこらあるんだけど、意識についての文章って形式を決めないときりがないな、と思う。きりがなくても始めてしまった以上、ちゃんと期限と内包を決めて書きたいけど、外部からの圧力が人非人過ぎるというか、何で電磁波だのカルトだのっていう社会になっているのよ、と感じる。
でも上記の文章は、フランス語に訳して、経緯を書けば亡命申請に使えるような気がする。すっぴんの私って海外で好かれる顔だちしてるんで、整形の訳の分からない人に気分を害されることなく(当たり前だけど)、本当にヤバい場合フランスに移住しちゃおうかな、なんて考えてます。