忘れない風の庭

風が吹くたびに、庭に景色が集まる。ある一角では野ばらの小さな蕾が幾つも、金色の棘のたった幹を風にかざして現れる。ある一角では「小さくブランコを漕ぐ」が。自分がそうしているというよりは、誰かその経験を至上のものとする人のリズムに乗って、それがある、という事を感じ取っている。ブランコの座板は厚くて獣の背みたいな模様があり、丸い鎖がいつくも連なって平衡感覚を支えている。それが小さく小さく前後に揺れる。別の一角には、夕暮らしい濃い青の上に無限に重なる葡萄の葉に隠れる、乳白色の大きな蝸牛。目で見るものの前に、這いながらそこにある出来事をたぐりよせる。土塊みたいに崩れ、痛むこめかみ。眼の上を蜜蜂が通り過ぎるのを、風の流れと共に感じ取っている。藁の束が、蜂蜜色の街角を引き寄せながら、すぐそばを通りぬける。そういう事柄が一時におきる時に、取り囲む家の周りの場所と、私を預けている土地の来歴と、自分の考えの場所はひとつになって高速で動いており、分かたれた流れではない。


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 たまたま必要があって(仕事で必要なので)INAXのエコカラットのHPを見ていた。エコカラットいいなぁ、具体的だなぁ、と感じる(私が、あ
んまり超越的なものと関係のない普通の感覚、って言うとき、何となくエコカラットみたいなものの事を言ってる気がする)。お金かけてそれを家
に施工するときに、身体によくてデザインも選べると言うのは大きいはずで、たとえばそれが自分の生活を幸せにするとか、形而上学がどうとか、殆ど
介在する余地がないように思える。(私は家にいるとき、プライバシーがあって平穏であることが一番大事だと思っているのだけれど、何かINAXの
タイルの均等でしっかりした感じって、そういう感覚に働きかけてくるものがある)。

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 あまり関係がないと思いますけれども。
 大工王選手権を見てから、気になって近藤豊三郎先生のブログをよく拝見しているのですが、茂木さん何か建てる必要がある場合、近藤先生に
 頼んだらどうですか(たまたま自分の精神的傾向をよく表してる気がして、98年頃に使ってた手帳を携帯の写真で保存したのだけれど、すかさず
 「ノートすること」とか何か日記について茂木さんが書いているので、この人はつくづく私の精神状態に張り付くつもりなんだなぁとちょっとびっ
 くりする。例えば見合いで結婚することになった時とかも、そんな状態なんだろうかと思うと辛い。と同時に、建物だけは嗜好とある種の強烈なモ
チベーションが通じる人に頼んだほうがいいような気がしてるので、ワーグナーが分かりあえる人同士だったら、そこに蠢いている感覚や雰囲気が活
きた場所づくりが出来るんじゃないかと思った)。

 と同時に、私は自分の思考に対して妙なオペレーションが行われた、という出来事の、次の段階に進まなければなんない。
 去年ひどかった出来事として、あるメーカーの営業さんと普通に会話してるとき、その営業さんが半笑いで「何か変わった人に気に入られちゃった
んですねぇ」と言ったという事があって、そうは言っても普通気に入った人間を洗脳しないですからね、とも返せず、私はひたすらイライラしていた。