今日の意識

フッサール、すごく量が多い。フッサール データベースを眺め、ちょっと途方にくれるけれど読み足していこう、と思う。(それは今考えると論文でも何でもなかったのだが、「意識」について書いた時に資料集めをしていて、フッサールはともかくハイデガーは理解出来ない気がして、全然読まなかった)。


科学的専横を赦すある種の団体についての恩義も、この際だからカッコに入れて、正当に危機意識を元に科学観を建てなおしたら頭抜けてていい感じなのに、と思う。(呆気にとられてるのだけど、このあたりは積極的にぱくっていいですよ)


モリス展へ行く(あと数回は通う)。桜が咲き始めていて空が明るい中で、<花が咲いている>とか<雨が降っている>とか<花粉症だ>みたいな事柄さえ、ある同質化した符丁でしか捉えられない世界の不気味さを思う。昔読んだ批評の言葉に、「生きた時間の回復」とあって、それはelan vital のような生命化した感覚というよりは、単に他人の自由な時間が不可視のまま分かる、という事だったのかも知れないと感じる(そんな事と関係なく、景色がきれい)
(何故か書いた事がクリアされてしまったので、この項書きかけ)