環状のもの

歩きながら、一段落したら日本現象学会に入ろう、と思う。その前には転移とか原型みたいな過度に心理的な機能が場を占めることによって、どれだけ快/不快を感じるのかについて、ちょっとだけ考えていた(当たり前だけど、そういうものを巡る言語ゲームは、一回も科学であった事はない)。
モリス展でロセッティのステンドグラス(聖ゲオルグの竜退治がモチーフ)を見て、文章書きはじめて終わらせないのはよくないなぁ、と思う。
民藝の展示には、なんだか外国のインテリアにはない中間的で安らげる要素が沢山あり、人気がある理由が解るなぁ、と思った。私は朝鮮という国に詳しくないけれど、王朝風の家具とか小物がきれい。他にウィーン工房の展示を見ながら、心底またウィーンに行きたいなぁ、と思う。 ♪
打ち合わせの準備をしながら、電磁波の調べものもしないといけないなぁ、と思う。
あとは以前、ゴキブリみたいな男性がキモいと書いたのだけど、ゴキブリに礼を失するかもしれないくらい、人間のどうしょもないのは昆虫以下だと改めて思う。暴言かもしれないけれど、例え「お前を監視したあげく殺す」と言われたとしてもイヤなものはイヤ。同様に私は食べ物と動物の排泄物を類推させるのは、普通に感覚障害の人のする事だと思います。

環状の場所を周りからゆっくり眺めながら、それが心の中に占める量がどれぐらいのものか推し測ろうとする。私を外から眺める人にとって、私と環状の場所がどのように結ばれているか。環を感じるとなにもかもが輝きながら乾いていって、単に動きだけが分かる。埋め込まれた葉の類、そのほか。(そのそばを自転車で走っている)