そういえば

 風が適度に冷たくて気持ちいい。以前2000円で買ったパンプス(というのも
情けないのだけれど、私本当に安く買えるものはそうしていて、実際定価の
13000円で売られているところも目撃したからいいような気もする。中敷にSourireって
書いてあったのがヘンな感じ)はサテン地みたいな感じで、ボロボロになってきてしまった。
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 打ち合わせのために普段全然使わない路線の電車に乗りながら、ラクー=ラバルト(今度は
「詩の政治」)を読む。つくづくハイデガーが苦手だ、と思う。けれど急激にお金をかき集めたり
素性のわからない擬似形而上学を市場化するときに、「貧しさ」にあったような清貧的な感覚(お金
なんてなくても豊かに暮らすことは出来るじゃないか)を内在化させるか、ディシプリンとして機能
させるようなふるまい―それだけはなぜか自分を貨幣と同等の、超越的な領域に措く―を採用している
「識者」が多いのは確かで、そういう見識を間違って踏むのを避けるため、我慢して読むのだった。
 (そういう観点からしてみると、精神論に作用するヘンなニーチェ主義とかも殆どこの辺りの出来事
 の丸パクリの気がする。それで、そういうものからの「切断」をどうしよう、と考えてしまう自分は、
やっぱりバシュラールとか、アルチュセール的な認識論的切断の方法を、好きで信じているのだろうと
思った。「貧しさ」についているインタビューで、「フランス政府お墨付きの認識論的切断」と、皮肉
られているけれども)。
 

                   ♪
 抒情詩について考えてても「詩の政治性」が問題になることはないな、と思う。でも言葉とその背後に
あるものが無根拠に動く以上、やっぱり詩はなんだか不思議で、言い知れないエネルギーのあるジャンル
なのだ。