自分へのご褒美が

「フィルスペクター伝記」だったらなんか悲しい、、と思いつつ、すごくさもしい事をしようとしているのだが、クリスマスに欲しいものをマッチ売りの少女的に列挙してみる(というのも、悪人が検挙されないの納税額が半端ないからでしょと思っていたのに、そうでなかった事が分かりこいつはもうダメだろうと思っているのと、そういうのに色々と付けねらわれて外食代が嵩んだりタクシー代が嵩んでいる自分を立て直す意味も込めて) ☆シェーカーのロッキングチェア 完成品で11万円、組み立て用キットで5万円強
組み立て用で一向に構わないので欲しい。昔ジオ ポンティというデザイナーの凄く軽い椅子を見て欲しいと思ったのだが、コードの座面があまりにパサパサした感触で馴染まなそうだった事と、13万円の椅子は高過ぎるなぁという事で購入しなかったのだが、同じコード座面でもロッキングチェアなら問題ないなぁ、と思っていて、ほんと積み立てで買おうかと思っている。私の使っているライティングデスク、生まれた時から家にあるのだが、つくりがしっかりしてると壊れない事を実感している。
ミキサー兼フードプロセッサ
これは変なものをかき混ぜていない限り(左官材料とか)中古でも構わないので誰か下さい。出来ればクイジナートというメーカーの回転数が大きいもの。朝やっぱり豆乳とか蜂蜜と青野菜のジュースとか飲みたいのだ。ミキサーでも操作がはっきりしているの可愛らしくて好き。
イオシスというメーカーのゴブラン織りのバニティケース
柄がゴブラン織りなのにとても斬新で可愛らしく、鯉の泳いでいる池とか海亀とか大きい熱帯魚とか、とにかくお洒落。昔クリュニーのユニコーンがいるタぺストリーの複製をただみたいな値段で買って、鞄をつくろうと思って放置状態なのだった。
谷川健一全集
夏に民俗学擬制とオカルトについて考えていて、何冊か読んだら不思議と身体に力が入った。人間は自分の物質的なありようと心の二重性を引き受けて生きており、そのことは古い物語が教え続けているのだが、それが一つの体系的をなす時には、柳田国男が見た白昼の天体みたいなしるしが現れる。不思議だけど大袈裟に捉えすぎず考え続けていれば、幸福だし色々な思考の仕事が出来る、と思う。
ラリックの腕時計
今年のはじめに手持ちのロンジンの時計のベルトを交換して使っていたのだが、やっぱり交換品のベルトだと良くないのだった。普段水に潜らせても平気な時計を使っているのだが、フォーマルなところに出ていくときちょっと感じよくない。
以下はもう手に入れてて、下らない病人からの被害で使いきれてないもの
製図板とCAD
やっぱり同じ被害を受けている方は、通信機材がのきなみやられているというのだが、個人パソコンのクラッキングとか何様のつもりなの、と思う。精度をあげていく必要がある仕事には関わらせたくない。
カシオの電子辞書

色々なことは書いているが、心の底であんまりデジタル家電とか機械と敵対したくないという気持ちがあるのだが、それにしても宗教的独断はちゃんと作動してる機械と相性が悪い。でも家電メーカーなんて機械をちゃんと作動させる事が一番大事なのだ。普通の人はドグマにまみれている機械が嫌であり、デザインと機能が一致していて素敵なとき、その機械と長く一緒にいたいと思う。
電子辞書とかWindows機とかの必要から買うものなんて、ほんと評判のいい上位機種でいい、と思う。
今のソニーが作っているものはそういうよい噂のかけらもきかない。

私はここにきて、茂木さん科学の道具を多少持っている蛭子能収なのではないかと思っているのだが、そういう人ってテレビの中で自己完結していて欲しいというか、テレビの線引きの外部で精神性を振りかざさないでほしいと思う。その精神性は嘘だし誰もそんなもの求めてないからだ。 何かの拍子に私が以前書いたものを読んで私の事を気にいってしまい(私何となく変態好きすることがあるようで迷惑なのだが)、いきなり「これ俺の」ってなってしまったのだと思うが、茂木さん的なものって素のときの私の欲動の対象にならない感じなのだ。ラカンが読めない、という事も含めて困る感じというか。
その困るものの呪縛(最終的に宗派所属の寵姫みたいなものになることが強いられてたら笑っちゃう)を断ち切るために、私は色々と試みたのだが(要は私はお前の被験体じゃないというのと、不当にこっちの生活を脅かしてきたのだから、せめて仕事で還元しろというのと)、こいつは聴く耳持てない感じで、恐らく身体的に親密にならない限り私の言っている事を認めない訳である(そういう振る舞いは多分、急に金を握らせたおっさんの習性であって、文学とか科学とか関係ない。金で人心を完璧に買い取れると思い込むというのは。別に「お金で心は買えません」みたいな話をしたい訳ではなく、素朴に不思議なのは「文化」なり「知識」でそれだけ稼いでいるなら、私設の音楽館とか科学施設でも造って子供にただで使わせてやればいいのに、そういう発想が個人でどうこう出来ないレベルで禁じられている事である)。
多分学者のなかには、そういうかたちの還元をごく自然に出来ている人もいるだろうし、文系とか疑似科学者じゃない人の書いている本で面白くてそこそこ以上に納得出来るものも沢山あると思う。大体、茂木さんにおいて読み変えられているクオリア理論、実は単なる東大の文転問題に過ぎないのではないかと思うのだ。
たまたま理系から文転した人を二人知っていて色々とお話をしたことがあるのだが、何だか東大の理工学部って凄くタイトなものらしく、しかもある程度学問をおさめても固い就職先しかないので、途中で嫌になって文転するひとが多い、ときいた。茂木さんの場合文転ではなく文系の学部も出た、ということなので秀才だと思うのだが、科学を離れると自分のエリートとしての自己イメージの外堀を固めるような文学に言及するか(夏目漱石や各種英国文学)、そういう文学をあからさまに破壊する極端な文学に色目を見せるかどちらかというのは、いかにも大学組織のタイトさに傷ついてしまった人らしくて薄っぺらい。それで、そういう人って絵に描いたみたいなあからさまな手弱女みたいな女性作家が好きで、大体自分より弱いものが大好きなんだと思うけれど、私にそういう役割を求めてこないで欲しいという気がする。ホステスじゃないのだし。

ここまで書いて、たまたまやっと精神的な余裕が出てきたので手にとれたユリイカ矢川澄子特集を読んでいたのだが、松山俊太郎、池田香代子佐藤亜紀対談のなかに、辛辣で非常に感じ入る一節があったので引用しておく(子供のころに矢川澄子さんの「架空の庭」が家にあったのだが、私はあまりたくさん矢川澄子さんの本を読んだわけではない。澁澤は89年から92年頃までに全部読んだのだが。今読み返しても面白いかも知れないのだが、澁澤龍彦も何となくひどい人間関係を代表する作家のように思えることがあり、あまり手に取ろうという気がしない。以下の引用の仕方は、余りにも恣意的で我ながら最低なのだけれど、この際仕方ない)。
松山 「(引用者註 澁澤龍彦矢川澄子の二人と比較して)
比べたら可哀想だけど、池田満寿夫富岡多恵子なんていうのは、、、池田というのは人は悪くないけど品性が低い男なんで、積極的に悪徳っていうんじゃなく品性が低いからやること全部がそれより上へは出れないっていう程度の男じゃない。富岡はそれをすぱっと切った。切ってから物凄く飛躍した。矢川さんにはそういう事がなかった」


何がすごいって「人は悪くないけど品性がないからやることがそれより上に出ない」って、言われたらたまらないよねと思って笑ってしまった。でも実際、そういうのって居るし、そういうのが自分の緊張を緩和するために取る行動が最悪なのだ。茂木さんも含めた創価のバイアスがかかった人たちの隠語と雨乞いみたいな独特の意味付けもそんな感じだよねと思う。