圧力を掛けられた後、冷却された牛

bobbinsmall2009-12-24

工業製品全部デュシャンぽくなるなと思う(盗品ネタと料理ネタは混在させたくないため、続きはオレンジページネットに掲載)。

牛すじのワイン煮込みと、ケーク サレを作る。(来年は本当にまともに料理再開しよう、と思いながら)。出先でとても深刻なお話を伺う。新興宗教の本拠地で、当の宗教から甚大な被害を受けている方なのだが。
「大学内に創価の女スパイってそんなに沢山居るものなんですか」
「いや、創価だけです」
「私も個人情報抜いてくる変なのがウザいんでどうにかしたいんです。それからこの街出身の画家で私の書いたもんに手をつけて二冊本出したキモい奴がいるんです」
とかいう流れの後、防御用品類が沢山あるので、さすがにこれで果たしあいになっては無駄に闘争的過ぎて皆から悲しまれる気がし、卓子の下でそっと掌を拳に結ぶ(ポーグスのパクりの件も含め、なんか良からぬところへの大々的な献上とか資金提供ってあるんだろうな、という事を実感する、クリスマス前)。

再三書いている糸井重里だが、私からは本当に何のリスペクトもなく、単に例外的に80年代に消費と表現を結びつけられた人が、その後の90年代のカツカツさをネグッたまま、新興宗教の嫌がらせと個人からのパクりだけで自分の世界を成り立たせてる、としか感じられない。凄く迷惑。企業だったらリストラされているだろうと思うのに、そういう変なおっさんに普通に仕事しながら延々付きまとわれる身にもなって欲しいと思う。
お話を聞きながら、潜在的にはこれだけ嫌われてる創価に依存しないと回らないメディアって一体何なのよ、と、改めて思う。

人間が全員同じ心境になるべき、と考える人は建物なんて触る必要がないのでは、と思う。家族と暮らしていても、最低限の踏み込まれたくない領域は私の部屋であり、最小限の独立した人の感覚は私の心で、即時に人と同期する必要はまるでない。
無理なやり方でそれを強いられて失調した人や、もしかすると自殺してしまった人の人生が、全然無駄なものではなかったと言えるように、法や街が整備されていくといいと思う。