明けましておめでとうございます

今年も一年、宜しくお願いいたします(年賀状を下さった方にお礼申し上げます。私はお年賀を含めてこれから用意するところで、元来そういう事は怠りたくないため、お正月一日からちょっと反省しています)。

昨年、「何だか訳の分からない嫌がらせに巻き込まれてしまい、思考が勝手にどこかに公開されている可能性があるのだけど、それをフィードバックされると疲れるし、私のせいじゃないのに精神病院に入れられるかも知れないので個人情報がばらまかれていても無視して欲しい」と伝えたところ、快く応じてくれた方々、ありがとうございました。あと「常識的でいい人だ」みたいに言ってくれた方も。私もつくづく根のところから都市部で暮らす楽しさを知っている人たちのさばさばした態度に救われました。別段新興宗教が必要ない事を改めて確認した次第です(ここに色々な宗教の名前を挙げていますが、私はどれに対しても帰属意識を持たず、オカルトみたいなものは嫌いな性分です)。あと精神病については、わざわざフランスの精神病者の作品ばかり集めた美術館に出かけて作品を眺めて来たりした位色々と思い入れがあり、恐らく私を病気呼ばわりしようとしてる人の数十倍は詳しいです。
実名を挙げた芸能人は本当にパクっているので、確認してみて下さい(特に糸井重里という人については、え、何だったっけこいつというレベル)。私から彼らの生活に関わる事はないので、この人たちも私に関心を持たなければいいと思う次第です。

そして、「思考」というキーワードでGoogle検索しようとすると、四番目くらいに「思考盗聴」という語が出てくる2010年、あんまり未来的な感じがしない。何だか過去にそういう技術が措定されていた頃には、もっと責任を持って開発者が惰性を削ぎ落としていたように思えるのだけど(パイオニアとしての責任を持って惰性を削ぎ落として、ちゃんと直感的に起きていることを捉えようとすることが、実は一番大事なのじゃないかと思う)、当の科学的主観が惰性と隠語による判じ絵程度のやり取りに始終しているように感じられてしまう。