レリーフ

白い浮き彫り(小さな蝿の形をしている)のある階段の真中を眺めている。ジュースを入れた背の高いグラスの中に、陽が柔らかく反射しながら流れ込んできており、その部分から透けて見えるテーブルの、ギンガムチェックのビニールで出来たテーブルクロスをさらさらして泡立った光のかたまりに変えている。床にたまっている埃の中に羽虫の死骸、胴の部分のくびれに縦横に走る影が、羽虫のからだをコマのように見せている。

(昨日)これはさっと見てしまおうと思っていた「ラブリーボーン」をレイトショーで見る。
キリスト教圏特有の死に対する処しかたの話、だと思う。「サーモン」というお魚みたいな姓も天国の概念もそうだし、のっけから主人公に仏教の輪廻を説くおばあちゃんが「間違っている」と言われるのもそう。そして好き嫌いとか信仰の有無はともかくとして、私はこの手の悲惨な話に親和性がたかい。見る前からわかっていたのでさっと見てしまおうと思った。
まず新興住宅地の景色が目に馴染みやすい。過ごした場所の側にはグリーンの窓枠の怪しい家があって、それは変質者の持ち物とは程遠いものの、細菌研究の名残で不思議なものが色々と置き捨てられていた。この映画(原作は読んでいない)の悲惨なところは、新興住宅地で過ごした写真家志望の14歳の女の子が変質者にレイプされたあとずたずたに切り刻まれて、自分が死んだことが受け入れられないまま、死が原因で歯車の狂っていく家族を天国に行きかけの場所で見守る、というところなのだが、何だか適度に人工的な住宅地で内面に閉じこもる男の変質者の、もさっとしててちまちました挙動不審な感じも、多分普遍的で同一の型を持っているのだ。簡単に言えばああいう人は居た、という気がした(ただ地下に穴を掘っている、というよりは、男であるというだけで解答も出ないような問いをたて、
何も出来ないでも単に生き過ごしているのだ。習性は動物とかゴキブリみたいな昆虫と同じなのだが)。
 フィラデルフィアが舞台の、映画の全体的な色調はマックスフィールド・パリッシュみたいに見える。



 くっきりした透明感のある青。
 あとはブライアン・イーノが凄まじい。わんわんわんわん音がこだましていて、見終わると何か脳に余計な感覚が開ける
ような気になる(「アバター」を3Dで見ていないのだが、それがきっと過剰な感覚をよびおこすように、ブライアン・イーノ
が鳴ってるというのも、過剰な気がした)。
 内装もとても内面的で、模様が溢れるほど。

 そういうものがあらわしている固有性に比べると、子供が殺されて悲しい、とか、愚鈍な変質者は変質者だ、みたいな考え方は、
仏教国だと成り立たないのかもしれない、と思う(極論だしそこまで仏教を嫌う理由もないのだが、集団性にかまけて消去できる
ことが沢山あるような気がして。宗教団体の教祖もそうだし、メディアを活用して采配振るう人も、この映画の連続殺人者みたい
にもそもそっとして変にチャイルディッシュなところがある。で、そのもそもそもぞもぞしたものに、精神的な成長もまともな生
活空間の確立もずっと引き戻されて遅れさせられている気がするのだ。何でそういうものに対してブーイングが起きないのだろう
か)。