新しい世界の文学

サリンジャーが亡くなる。白水社の「新しい世界の文学」の表紙のことを思い出す。丸が並んでいるのだ。ふーん、新しい世界の文学なんだ、すごいねぇ、と思える素朴な美しさがあり、実際、手に取るとみんな素敵な話だったと記憶する(時間と余裕が沢山出来たら、最近翻訳されたサリンジャーを読んでみたい)。
コールフィールド君の妙な口調や適応不全な感じが、CIAの陰謀とどう関係していたか、にはあまり関心がないのだが、実際50年代も6、70年代もそんなモチーフばかりだったのだろう、と思う。日本文学の題材としては浮上しにくい。でも、本当のところ、人間は人間の思想なり生き方を操作しようとすぐに目論むし、必要なときは理詰めでその事の不毛を主張すべきなのだが。
適応不全がてらいと結びついた文体にかまけていれば、当のモチーフには目を瞑ったままでいけると思う。そしてその優しさと温かさが、各種新興宗教が飽和しながら培養されていて、本来なら正当に他我の境界になるべき要素をひたすらに侵犯している、現在の環境を作ったのだ。