サイキス タスク/エメラルドグリーンという色の見え方について

この本は(以前に金枝篇に挫折したからかも知れないが)、何故かわかりやすく良い本、という分類になっており、10年以上前に「抽象と感情移入」とかと一緒に読んで感銘を受けた。再読を少しずつ始めて、「俗習の呪縛」みたいなものの、想像力に占める割合について書いてあるので、面白く読みごたえがあるように思うのだろうな、と感じる。
例えば、
「ロアンゴの王は「人民から神であるかのように尊祟されている。そして、サムビイ及びパンゴと呼ばれている。王という意味である。王は意のままに雨を降らせることが出来ると人々は信じている。そして一年に一度、いつも雨が欲しい12月に、人々は雨を貰いに王のもとへやってくる。この時彼等は王に贈り物をするのであるが、空手でやってくるような不心得者は一人も居ない」」という時の王は、モダンな人でも個別化された実体でも何でもない。晴雨関係なく、そういう人から解放されている事が前提となり、それなりに形骸化しないですんでいるような領域が、例えば魂みたいな同じように個別化されないものにも沢山あるような気がする。

で、魂という言葉は重すぎるので置いておくとして、以前読んだ時は、遠い遠い未開の地の話に思えていたこの本の雨乞い的なおどろおどろしさの、この現実に対する必死な食い入りようは何なのだろう。もし巻き込まれたら来世(というものは信じたくないけど)ロクなものにならない気がする(犬と女性を類推させたりする話も含めて、畜肉っぽい穢いセンス)。

巻き込まれた人のうち、一人は多分大学を退官したら「広告代理店を嵩にきて虚勢張ってた凄いつまんないおじさん」として死ぬんだろうし(もう60というのは「あと10年位」という事でもある)、
何も解明しなかった科学者とか、変な女を回す必要のない(影響力のない、というか最初からパクり頼りでしかものが言えない)末端の表現者にまで食わせて自分は男性更年期みたいな社会学者とか、何というかいちいち気持ち悪、という気がする(私は呪いって信じていないけど、多分娘さん生育過程で機能不全みたいになるんじゃないの、と思う。たまにもろに私の書いた事を意識して更新してるのが鳥肌立つくらいにキモい。子供が出来てからも自分を世界の中心にするために、色々あがいている男性更年期の男の何処が「社会学者」なのというか、そんな奴の言う事は身内しかきけないでしょう、と思う。あと相変わらず文章がど下手だ)。
天気がよく梅も桃みたいなものも咲いているので、久しぶりに散歩したり運転したりしながら、結局花粉症は遺伝的に関係ないのかも知れないなぁ、などと思う。

パソコンのディスプレイ上にあるときは、同じディスプレイでマンセルの値を確認すれば大丈夫だけれど、エメラルドグリーンという名前の色がどんな感じなのかよく分からなくなることがある。濃さと風合いみたいなもの。名前から思い浮かべるグリーンより少し乳白色がかっているグリーンに思える(そんな事は他の色に対して、感じることも考えることもない)。

窓から多分ティーカッププードルという名前の小型のプードルが散歩しているのを見て、これは可愛いなと思う。柴犬もいいけど。猫は単体で活動しており、歩道を横切られると緊張する。