メモ/とてもよいマティス

 新たな提案が受け入れられたあと、パリで初めての撮影があり、それにアルジェリアとスペインが続いた。最初の計画からは、とはいえ、「宗教的なものの回帰」のシークエンスが残っていた。それは、旧植民地博物館であるパリのアフリカ・オセアニア美術博物館で撮影されることになっていた。そこは、他に数あるなかでも、フランス帝国と、未開人のところでの帝国の伝道者たちを描いたフレスコで飾られている。そこはまた、不ぞろいの多様なオブジェを収蔵していて、仮面から熱帯魚にわたっているが、そのつながりはほとんど見えなくなっていた。だから、「植民地」なるこの名義的なタイトルが残っていたのだ。映画の舞台は、人間ドラムの展示室の青い場面に場所を定めた。それは、上に苦痛に満ちたいくつもの顔が彫られた木の幹の形をした垂直の巨大なドラムである。それに面して数々のトーテム、祖先の頭部に一方が他方の上へとよじ登り、見知らぬものへと昇天していく。従って、旧植民地博物館のアニミズム的場面で、一神教に関して、宗教的なものの回帰を語らなければならなかったのだ(「言葉を撮る すべての前線で回す」)

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 今更ながら、デリダすごいなぁ、と思いながら読む。要所要所にすごく哲学的でないもの、いかがわしい感じのするもののイメージがさしはさまれているのだけれど、結局欲動というものがどういう物質性で支えられているかを気づかされることがあるのだ。

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 今年見たものの中でたぶん一番よく、それは持続するだろうと考えられるマティスの絵は写真に撮ってあるのだが、これがスッと見えてきたときの満ち足りた気分は忘れることができない(実物と似ても似つかないような撮れかたになってしまったのだが)。