砒素(先入観では猛毒なのだが)を取り込んで生きてる生物がいて、地球外に生命がある可能性を示唆しているという事なのだが、ちょっとだけ期待はずれ。それでも、与件が違っていても健気に生存する生き物がある、というのはいい話にも思える。
 人間の与件とされている感覚(言語で思考し、イメージを持つ)にも外部とか他の条件があり、それを精密にシミュレーションする、というのは疑似科学でない科学も行うことなのだが、私(たち)は何でそのことを忘却させられがちなのか。陰謀論でも何でもなく、ものすごく俗っぽい理由で科学者自身がそのことを知りたがらないからだったらどうしようかと思う。そういうのが科学に対して抵抗感とか生理的な不快を感じる原因なんじゃないのかなどと、つらつら思う。

                            ♪
 出先で冷えた地面に足を乗せて、霜が降りるところをあまり見なくなったと思う。
 
 茂木健一郎という人のどうしょもなさについて、ひとつ地味なパクリなのだが、大島清という性科学者で脳の研究者の人のタイトルを
そのまま流用していることも書き留めておきたい。(「すべては脳から始まる」というタイトルなのだが)。気味悪いのはこのタイトルで
検索しても茂木の本しか上位表示されず、大島清という科学者さんも存命なのに、この人の名前がまるっきり浮上してこないところ。
 以前なんかのきっかけで(もう多分10年以上前なのだが)私はこの大島清さんの本を読んだことがあり、改めて出版されてる本のタイトルを眺めても、脳みそ取り扱う人は基本的に形而下の事柄をよく扱う気がするんだけど(当然その事自体は悪いことでも何でもない)、そういう系列の学問を修めてる人間が無理して思弁だの感覚質だの現象学だのに触ってこなくても良いんじゃないか、と思う。無理なんだから。
 量子力学キリスト教に影響されてたのと同じで、チャーマーズクオリア理論の背後にはアリゾナとかカリフォルニアとか何か向こうの工科大学の流れとカウンターカルチャーの何かがあるだろうし、現象学だったら絶対ウィーン学派とかそこらの話が絡んできてるのだろう(この辺りの本を仕事しながらゆっくり読みたいと思ってたとこから、どんだけ変な出来事に巻き込まれたのか)。特定宗派から金と変な技術だけひっぱってブローアップした「茂木クオリア理論」とか「養老クオリア理論」みたいなものは、ひたすらその宗教団体の手癖が刻印されてるだけで、全然形而上学とかそれが反映されてる人間の感覚に触れた気がしない。要は凄いつまんない人たちという気がする。
 そういう人に関心もたれても困るし、茂木さんを振った東大法科の元彼女も要はそういうつまんない男が癇にさわったのではないだろうか。(大体、これは東大卒の人に多い気もするのだが、とにかく自分が知らないことまで他人に教え込もうとする性質があって息苦しい感じがする。「東大→ケンブリッヂ→意識の謎を俺が解き明かす」っていう思考回路自体が意味不明で、そのストーリーに後ろ盾作るために新興宗教に恩を売ること自体下卑たことだと思うのだ)。
もう色んなことが下衆で、普通の女性(というか端的に私)はこのひとのいっぱいいっぱいな下衆さが嫌いなのと、しかも下衆な上に何か無駄に年を食ってる感じが嫌なのよねぇと思う(この記事に載ってる人のことは、テレビを見ないのでよくしらないのだが)。
 しかもhttp://www.j-cast.com/tv/2010/12/04082614.html この記事に載ってる茂木さんに二歳サバ読ませてるのは本人じゃなくてメディアとか検索エンジンなのか??(某作家のもと奥さんが三歳サバ読んで本書いたり整形しまくってテレビ出たりしてたことを思いだした)。

付記:やってることはこれの真逆?
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20101124-00004338-r25&vos=nr25gn0000001
「パクってる方が逆切れして相手を落とす」という心理状態、脳科学的にはどういうものなのか
脳科学というよりむしろ異常心理学−何か懐かしい響き−の人に図と地が反転する図形とかでテストしてもらったほうがいいように思うんだが)。