2009年4月6日の日記

に、「相互監視を示す吊り上った目のデザインが公共の看板に使われてておぞましい」と書いたのだが(それは
「五人組」みたいなセンスの陰湿なものだ)、アメリカで1984(オーウェルの)を題材にしてこういう
看板が掲示されているみたいhttp://ww1.prweb.com/prfiles/2010/12/08/589634/KensBillboard.jpg
普通このセンスは批判するためにあって、積極的に人に対して使おうとは思わないよねと感じる。「この町に住んだら
監視するぞ」って脅しあげてる自治体なんて気持悪いではないか。犬が寄ってくる電柱の丁度犬の目の高さのところに
犬よけで似たようなものがあったり、鳩退治につかうグルグルした模様とかを思い出した。

                         ♪
メモ:「宗教的体験の諸相」のW・ジェイムスの研究にはそういう体験の生理学的基盤とか解剖学的基盤を探す姿勢があったはずで、妄信的にある宗教体制に自分をゆだねるということは無かったはずだ。ガートルード・スタイン
のような彼の生徒のモダニストも同様だったのじゃないかと感じる(ガートルード・スタインの詩も散文も凄く愉快なもの
なのだ)。


 頂き物のリフォームのお仕事のために(来年はインテリアの仕事とラーメン屋半々だったらどうしよう)、AUTOCADを使ってみようと思うのだがそれにしても、宗教団体の問題はほんとにひどい。