バスチャン考

久しぶりにうとうとしながら、この考察を読む。16か7くらいの時に初めて読んで、何か潜んでいる信仰生活の恐ろしさに触れてしまったような話。柳田国夫を読んでも折口信夫を読んでも感じない感情。ヌミノースとかそういうもの。
民俗学面白いなぁと思えた幾つかの本のうちの一冊なのだが、ぼんやり日本の文学者の有様として、個人的なキリスト者であることが結構重要だった、そういう時期があるのではないか、と思う。(吉本隆明さんという批評家は、私にとっては聖書を語るひとでもあり、どうしても共同幻想論の、読みかえられた民俗学の人だ)。
そういう在り方と関係のない単なる呪咀の行為としての宗教が、どれだけ人をスポイル出来るのか(そもそもその宗教は何なのか)が問題になっているが、まあ実体として関わらなければいいだけよね、という気がする。にしても人のスポイルに何使うか分からない人たちなのだ。
日記をぼぉっと読み返してみて、内田樹先生にパクられている箇所やらこれだけ邪魔してくるのだから仕事くらい頼むかと思っている箇所をみっともないと思うのだが、なんか私はこんな人と関わらないほうがそこそこ仕事がうまく切り回せそうだし、検索ワードの後に某宗教の名前がついちゃう人たちがその宗教の媒体を使ってした脅動ってつくづく鬱陶しいものだよねと思う。どうでもよい事なのだが、ほんとに周囲の28歳女の子って平穏に仕事しているので、まともに正規雇用で仕事してたのに妙な業界人に絡まれてたのが異様に思えるのだった。本当にこんな人たちの道徳論、一行も信じちゃダメというか、元々新興宗教の嫌がらせに乗じてかき集めた金なのだから、吐き出させて雇用促進のための機関とか作ったほうがよいのではないかと思う。


出先から帰りぎわにほとんど年度初めの儀式みたいに、谷川民俗学を全部読みたいと思い、全集購入を検討する。一ヶ月に一冊ずつ。