通り道で

バッチ・フラワーのレスキューレメディーがたくさん売られている店を発見する。
代替医療のニュースのこともあったが、これも民間療法の一つ)。ブラックカラントの溶液を混ぜてあるドロップが売っており、浅田飴くらいの缶に入ったものが1500円なのだが、一缶2日くらいで消費してしまいそうで全く手が出ない。これのせいで治療が
滞ったりするのは確かに悲劇だけれど、でも代替医療信じるに値する部分もあるよね、
と思う(突拍子もない金額はともかく)。久しぶりに「癒す心、治す力」を読んでいるからそう感じるのかも知れない。
 心理的構成物が他人から悪用されたり、望みもしない洗脳を受けたり電磁波が放射されたり(?このみっつは昇順かも)というのは、確かに法の下立証するのが難しいが(いや本当は、そういうことさえデリダベンヤミンが言ったような方法でなら可能であり、現実の制度というか、抽象化がそれに追いついていないだけなのだ)、どうも医療という人の悪辣さが色々な事柄を混乱させているんではないかなぁ、と思う。
 電磁波について、自然療法畑の人は結構細かく対処法を書くので、何だか理不尽な目にあった人はこの本を読むと、ちょっと症状が緩和されるかも知れない。 ♪
ある時期の医療とか科学という人の悪辣さを、客観的に説得力のある言葉で書くことが出来る気がして、それがどういう事なのか色々と思い巡らしてみる。
例えば神経工学がいくら発展しようと、生身の人間から神経工学的事実だけを抽出しても仕方ない、それで人間の心的生活の全体像が見える訳でない事を、見聞して薄々は知っている。にもかかわらず、専横的なものというのは、どうしてそういう行動をとり、しかも何も解明しないのか。
いっそのことはっきり書いてしまうと、特定宗派と結びついた神経工学の学律(クオリアだの共感覚だのを取り扱っているのか?)が諸悪の根源のような気がしているのだが、そういうものを取り扱う人たちはその宗教とべったりなだけで、何ら意識について目新しいことを見つけてないだろう、という気がする。