絶対無理

bobbinsmall2011-08-09

まずかなり下らない理由で仏教が嫌いである。なんか湿った感じが。
それに加えて教祖が悪業を積んで蓄財した後老衰で潰れかけており、この宗教シンパの言論人は別にリアリティーを感じてないのに取り入っただけ。そんなものに何を期待するんだろうか。そして後ろ暗い人の更正のバッファであり、そういう人たちに「あなたにも役目はあるから」みたいな事を言って愚にもつかない事をさせているっぽい。

アクティブ・イマジネーションみたいなプロセスの中で、自分の呪われるに値しない過去のイメージみたいなものがかなりくっきり思い出されてくる。(2007-06-02 日記参照)

それにしても何でこんな面倒な事してるのか(単にその宗教が消えればいいんじゃないかと思ってしまう)
 何か方々、面倒臭いものに引っかかった(引っ掛けられただ)なぁという感触が。

     ♪
 お休み。
 「華氏451」見たいなぁと思う。
 いい話なのだよな。
 「脳トレ」とか、情報として解析されるだけの時空のことを
 予見してたのかも知れないなと思う。

    ♪
 内田樹先生の「感情表現について」というブログの記事が、相変わらずひどい。
 2004年には、男の人が泣ける国が感情的成熟を遂げた国って書いてるのに(しかも
 その宗教団体の機関紙に)。http://blog.tatsuru.com/archives/000111.php
 馬鹿みてぇと思う。この時から7年で、ほんとに泣きたくなるような事態(震災)が起きた
 のに今度は「泣く人間が増えたのはフェミニスムの布石と感情的抑制出来ない人間
 が増えたせい」ですか。(前出のBMIの話もそうだが、こんな事している間脳科学
 で何が何処まで解明されたのだろうか)。

 「華氏451」に泣いてたのは17位の時。よんだくんのビデオに泣いたのは21か
 それ位じゃないだろうか。
 その上で、激怒してるのは内田樹先生や糸井重里みたいな根本的に変な人たちに対して
 であって、はっきり言って仕事の邪魔なんだよなと思う。
 茂木さんに至っては、この仕事に就き始めてから茂木さん程いい加減な人に遭った事が
 ない。
 この延々の吊るし上げ、何なんだろうねと思う。食べ物から菌検出の件もそうなのだが、
 何か地位だけは上積みしてても理解能力とか認知能力に欠格がある人達なんだろうか。
 
 アハ体験は:
 「まず、アインシュタイン、ド・ブロイ、シュレーディンガー、ヴィジェイ、ディヴィッド・ボームをはじめ、素粒子の不確定性や非因果律を受け入れようとしなかった著名な物理学者―彼らはこれを、素粒子レベルの事象はまったくの偶然に支配されている、という意味に解釈した―が、これまでに何人か存在している(アインシュタインがはいた名文句、「神はサイコロ遊びはなさらない」にこの態度がよく現れていよう)。彼らは素粒子レベルより下にある種の実体が存在し、それが一見不確定と想われる過程を支配していると考えた。これは隠れたる変数の理論と呼ばれた(しかし、それを追い求めてもまったくの徒労に終わるように見えたから、忠実な支持者からも見捨てられることとなった)しかしこの理論は、物理学者にこそ受け入れられなかったが、形而上学的、超心理学的な理論にとっては実り多き畑となった。神の摂理は物理的なマトリクスの中の不明瞭な間隙部分から作用する、と神学者は唱えた(「間隙の神」)。またノーベル生理学賞を受賞したジョン・エクルズ卿は、「きわどくバランスを保っている」神経細胞の量子的不確定性が、自由意志を行使する余地を作り出していると唱えた。

活動中の大脳皮質では0,02秒以内で、何十万の神経細胞の放電パターンが、最初にたった一個の神経細胞の放電が引き起こした「影響」の結果として規定されてしまう。

したがって「意識」は、活動中の大脳皮質のこの特異な検出機能により影響される時間的―空間的な「影響野」を作用させることによって、神経細胞のネットワークの時間的―空間的活動を規定しているというのが、神経生理学仮説である。

人間一人ひとりの精神作用が「自分自身の」大脳にどう影響するかについては、この理論が適用できよう。しかしエクルズは、同書の最終章で、その理論にESPやPKも含めている。彼はラインやその一派の実験結果を、精神と物質の「往来」の証拠として、あるいはまた精神の間の直接的コミュニケーションの証拠として受け入れる。精神という意思の作用が、物質である自分自身の大脳に影響し、その物質的大脳が意識的体験を生じる―これとまったく同じ原理が弱く不規則なかたちで現れたものがESPであり、PKであるとエクルズは考える」

「創造性の根底にある意識的、無意識的プロセスの本質は結合の活動である。それまで分離していた知識と体験の領域をまとめる作業である。科学者は「結合」を達成することを目的とし、芸術家は通俗と永遠の「並置」を目指す。またユーモリストのゲームは「衝突」を引き起こすことだ。そしてそれぞれ動機が異なるように、創造活動の種類によって喚起される情緒反応も異なる。発見は「探求衝動」を満たし、芸術は「大洋の感覚」を通して情緒の浄化を促す。そしてユーモアは悪意を刺激し、それに対する無害なはけ口を提供している。笑いは「HaHa反応」と呼ぶことが出来るし、発見に伴う「わかった」の叫びは「Aha! 反応」と言える。そして美的な体験の喜びは「Ah…反応」である。」(ホロン革命)

 ケストラーの「ホロン革命」を読めば構造的には内容が解ってしまう訳なのだが、これをカルトが取り込んでいる
として、生身の人間で実験して何が何処まで解るのだろうか(当のカルトがリミッタになってしまうのでは)。

                          ♪
 リサ・ラーソンのよんだくんにドキドキしつつ、葉書を投函する。(2ヶ月後というところが微妙に長い・・・)
手元に届くのが楽しみ。陶器のよんだくんも気になる・・・