リサ・ラーソンのよんだくん/煮こごり

・・・なんか凄い。http://100satsu.com/present/ かわいい!
 つい二冊新潮文庫を購入してしまう。
文豪リストウォッチがリニューアルと書いてあり、カフカの時計の復権を強く望む。前使ってたのです!!あと「ぱんだが本をよんだはなし」は泣いてしまった(トリュフォーの「華氏451」に泣いたのと同じ意味で)。あっち行けとか気分悪い、みたいな事ばかり書いてある日記だが、よんだくんのノベルティを見るとこれを思いついた人は天才だなと思う。まだごり押しの出版物など無かった本屋さんの時空を思い出す(たかが10年前)。         ♪
 イヤな感じ、というか、食事を隠語で呼ぶことの簡潔じゃなさの
延長線上に食中毒があるような気がして激怒しているのだった。
気味悪い。

         ♪
 手羽先を6本から8本と本数の半量のカップのお水(6本ならカップ3)
 塩、醤油を入れてお水が1/3になるまでまで煮詰める
 枝豆(冷凍でも)と一緒にタッパーに入れる(手羽先の身をほぐして
 一緒に入れる)。固まったらポン酢をかけて食べる

 というのは凄い簡単で美味しく、結構好評だったことがある。
(暗くて見えなかったので書き起こしました)。
 また作りたいのだが、何か料理とかの過程で気持ち悪いのだ。
 そのアーティフィシャルな感じのイヤさって別に特定の民族
 とか全く関係なく、単にそういう体制全般に対する物凄い怒
 りの感情に起因している気がする(それこそ賦活されていない
 イヤさ。それを書いてもどうにもならないことは解っている
のだが、入信のフックにせずに全財源を即物的に復興にあてさせ
なさいよと思う。全部。大体課税対象になっていないのだって
おかしい訳だし)。
 実際に聞いた話だが、その宗派を頼る人は、ほんと情報に対し
 て素朴な感覚しかもってなかったりする訳で、その上前をはね
 るようなかたちで愚にもつかない見入りを得てる人が居るのだ。
 薄汚いことだと思う。

 

         ♪
(朝の4時に別の場所に書いた項目:この中で「ユング」に触れているのは、別に他のユング
読む文脈とは関係が無く、単に原型論のロールモデルのどれかを引き受ければそれで精神分析的過程
があがりになるユングと、実はそうじゃない時のユングがあるんじゃないかと考えていた99年位から
の発想による)。
生体反応のボリュームと、頭の中で神経が何かしている動きと、
単に<きのうそういう風に考えていた>事の連続性が180度変わって
しまうことなく考えているという事と。これは結構重要で、仮に
精神病者」という実存があるとしても、それは急に記憶喪失になる
ほどの深刻な考えのエラーを選び取り続けているわけじゃないと思うのだが、
問題化されがちなもの言いというのは「政府」とか「宗教団体」とか
「警察」や「企業」の陰謀で、生体にじかに音声を送信されたり、
身体を攻撃されたりしている、それは不可避だし自分で攻撃を
緩めることが出来ない、というものだ。
 でもなんとなれば、そういう事をされる可能性というのはあるだろうし、
突拍子ない考えではない。全然。
 手元にあった本を読みながら(また、アーキタイプを論じてない時の
ユングについてちょっと思い浮かべながら)、ソニーのESP研究所とか
何か自己啓発系のコンサル会社のことを考える。



 確かに神経反応と、自分の個人的な記憶と言語と、単純に「いまとここ」
が何故脱落なく結びついているのか、よく解らない。
 大体それが滑らかな連続した時間なのか(ベルクソニズムみたいに)、一回
一回連続性を切り離して進むものなのか、結局のところ誰も「解明」はしていない
ように思う。
 理想主義的に色々な素材を当てはめてみることは出来る。でもどんな宗派性とも
関係なく、単に実態的な問題としてそういうトピックを意識の中から拾い上げ続ける
事、これは結構難しいんじゃないか、と思う。
 だから「ハード・プロブレム」なんだろうか。
 でも、科学の問題なくて単に書き方の問題だと考えれば、都度フェーズを人物に
担わせてそれぞれの意識のありようを描写する、というのは、無いことでも難しい
事でもなかったような気がする。

                 ♪
 ↑上記のような話と「感覚質」の研究、「クオリア理論」は全然リンクしていない
訳で、ただひたすらその宗教団体の必要から洗脳の技術が濫用されているというのは
話として困ります。
 仕事の電話をしながら、ソニーのカスタマで仕事をしたのは高々1年足らずで、
 しかも素の私は結構喋るので(パソコンのテクニカルサポートとか結構得意)、
 何かインセンティヴめいたものも貰っていたにも関わらず、あとストーカーと
迷惑行為に巻き込まれるってどんなだよと思う。茂木超キモい。
(でも流石に物騒な国じゃなくてよかったわと思う。標的化してしまうという
のは何かと大変な事で。元々アップルユーザーなので、私はこの会社に
関心がない。というか、ソニーのイギリス倉庫炎上、規模大変みたいだけど
人が死ななくてよかったよねと思う。レディオヘッドとか色んなアーティストの
倉庫になっていたというのも損失が大きそうなお話だけど)。

                ♪
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110707/plc11070701370004-n1.htm
 高齢に伴う認知症とか災害のPTSDとかに比べたら、アーティフィシャルに
つくり出されている擬似的な精神障害の症候なんていうのは考え方自体が傲慢で悲しいものな訳で、そういう事をしているカルトなんて信用出来るわけがないじゃ
ないのと思う。

                ♪
 キリスト教の方がまだマシだと思うのは、結局ソフトマシーンのようなもの
の中で治癒する感覚を捨て去らないところ(それにそこから派生しているお話
で織られている世界や物事のほうが、未だに多いと思えるところ)。

アクティブ・イマジネーションみたいなプロセスは楽しく、都度現実感が(言葉と共に)ある。一時期その事に恐怖感があった。
木の椅子をくぐる事が出来た頃に、自分が満たされたふわふわの小さな幼児であり、寒いと丸まっていたし暑いと背伸びしながら成り行きを感じていたこと。 ♪
大事なのは言葉と一緒にまともに生き残るか生き続ける感覚であり、転移(転位か)の媒質をぐだぐだした安定感のないものにしない事と感得する(だってそれが健康という事なので)

しかし実際、その教団を嫌っていても生きていける筈だし、今の私に必要なのはそこからのばい菌にしっかり抗う魔除けみたいなものかもな、と思う。