そういう話

ポストモダンでそれまで陰惨な政治闘争に明け暮れていた左翼の感性が「市場」に開放された」
「商品のコピーが商品以上に「売れる」モノになった」

 という話がまず(実感として)分からない。過去完了したお話だ。
 にも関わらず、その過去完了の時点にまず戻らないと意味を成さない表出が
 糸井重里っぽいのだ。(これは某宗教団体と組んで本の部数だけ出し、未だに
 「高度消費社会の到来と感性の開放」みたいな文体で食べてる人ぜんぶに言える)。
 その話はもういいじゃないのと思うのと、こういう形態のクリエイターの
 人って、退く気は全くないんだろうか(単純に20代30代の人に色々言わせて
 あげたほうが、意味の通りやすいリアリティのある世の中になる気が
 するのだが)。
 あと、「終わってる」「終わってない」以前に、他人から無理矢理にパクリ逃げ
 したり人の監視しないと発想出来ないというのは、予め悪に何かを売り渡した人
 の態度だと思うのだ。結局のところ芯の部分で捨てた筈の陰惨さに逆戻りしている
 という意味で、「ポストモダン以降に「感性」を売り物にしたクリエイター」み
 たいな人の事を全く信じていない(これは精神科医の人とかに対しても言える)。