初夢として

昨日のは意味なさすぎで、今日は普通に道を歩いていたので、今日見たものを自分の初夢にしたい、という気がする(単に空が見えると思いながらゆっくり歩いているだけの夢だったのだが)。

ジッド三冊位読んだのだろうか。宗派とセクシュアリティの問題に多方向に引き裂かれてもノーベル賞はもらえるんだが、やっぱ仏教の話じゃなく思う。が、ひとつそういう人が無理やりノーベル賞をもらったり内輪でどこか外国の、楽しい授与式の記憶を捏造するために、今年出来る大事な事があって、それは全財産を被災地に喜捨、もう無闇やたらに喜捨すればよいのだと思うがどうなのか。世界で一番過激な仏教徒で仏法の実践者に見える事確実だと思うのだが。

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http://rocketnews24.com/2011/09/27/133951/

・・・こういう話もある為、大脳生理学を相手にしたら新年の時間の分節にあわせて初夢を見ることの意味とか、
そういう事を書いたテクスト(山家集というものの事を初めて知った)で意味づけられてる初夢の意味が根底から
変わるんだが、大脳生理学者新興宗教もこんな事関心ないと思うのだ。
だったらほっといて貰うのが筋、という気がする。

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貧乏性とまた別のレイヤで切り詰めたいと思った時に、このFPの人すごいと思っておりhttp://news.goo.ne.jp/topstories/life/362/a10645fafe9bf7b923ba5e1d7205eae8.html

・・・でも単に「趣味が現象学と手芸」の場合あり得ない過ごし方じゃないという気がする(いわゆる「手帳術」
みたいなものと全く別の感覚として)。フッサールだけでも読もうと思ったら膨大な時間が掛かるのではないか?
そしておかしい話というのは、妙な超越性から持ち出されてる部分であり、それが純粋に科学の問題ならばいい加減
何らかの解答が出てもよいのじゃないか、と思う。

そんなことは関係なく

ブラックベアかわいや。
・・・前から欲しかったのだがセールになっていたので購入する。
ささやかな幸せ。

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・・・出先で必要な色々のお話をしながら(また、感銘を受けながら)、ぼけっと関係もなく
「ナイスなもの」をギャングたちが探しに行ったの80年位で、その頃成立した
「殺伐としていない、全てを記号的に扱う左翼」が消費社会にどう解放された
かなんて、全く今日びの社会で問題にならないよと思う(「おさらい」する
人は居なくもないのか知れないけど)。というか究極的にはその「ナイスなもの」
が何を指してるのかを解ってもいけないのだと思う(その本を私は面白く読んだが、
同じ文体の二度煎じ三度煎じに「思想家」としての射程−この言い方嫌いなんだけど−
は浮かび上がらず、それは単にマーケティングと申し合わせの産物じゃないかと思う)。
たぶん個人をそれたらしめてる実存的な出来事や存在論的な規定は、もっと個別の
出来事として日々刻まれているので。
 それでも若者は吊るし上げや揶揄や洗脳や再教育の的になるんですかね。
 日本を沈ませたくなかったら、様々足引っ張るべきでないのでは、と感じた次第。