今居るリアリティの頭出し

・・・を、今年は心がけようと思うと共に、
まともに文書作成していた時に、いきなり
それを微妙な耽美系おばちゃん(その閉所の
中で、似たようなもの書いてても序列がありそ
うでコワイ)の教化に引っ張ってるある向きを
見た事を思い返す。すご、陰湿という気がした。
もっと「勿体無い」とか「時間の無駄」という
感覚をまともに身に付けないと。つくづく
(世の中はいつまでも90年代の「夜想」みたいな
ノリじゃない気がするのでというか、そんなもの
その時代に読みきって終わりなものだとばっかり
思っていた)。

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今年は女性の異嗜食と整形手術(いじめの延長と反動と
しての)について、ごく客観的な話を書きたい。どこかでまるで不可逆な、
取り返しのつかない汚わいの感覚ってあるよなという気がして(昔からそう
いう感覚ってあるよなと思い、それは
全共闘とかにコミットしてた人の病気好きにも共通するのだが、A・ジッドの「田園
交響曲」みたいな無垢なものの毀損ベースで、傷ついている状態にしか
意味を見出せないタイプのコミュニケーションって存在するなという気
がする。そういうものの為に年間どれくらい「真っ当なリアリティ」まで病理に
数え上げられてるのか、自己愛性人格障害者に個人的な
領域を侵害されたり、パクリの被害にあったりした場合
どれくらい請求出来るのかを言葉にしておけば面白そう、
という気がする。
これ80年代以降の精神疾患商売全般に共通する。正常者が
病気扱いされることも、単なる自己愛性人格障害の症候が
ふかされてとばっちりを受けるケースも結構あるのだろう
という気がする)。

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ベージュ色の砂が引いてあるコートのような
所で、小さいボール(片側に黒いマジックで
渦のようなものが沢山殴り書きしてある)を
転がすという夢を見た。(リボンのようなもの
がついている)。

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仕事の準備と共に、今年こそAdobe関連をまともに
使い倒そうという気になる。

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Warpレコードの目録があれば欲しいのだが出てるん
だろうか。

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ベンヤミンの何を読もうと思っていたのかはベンヤミン
手にとれば解るのだが、文脈が決定的にまずい。暗殺説(?)
に基づいた映画が出てることも含めて、ベンヤミンの時代と
同じような困難はやっぱりあるのではないか(市民世界の記憶の
分割不能性に対する、何かしょもない抑圧)という気がし、
本当に少しずつでも、何を読みたかったかを感じ取りたい気が
する。


年末年始オーソドックスに健康とか幸福って好いものであると感じ、下らない事ですり減らさないようにしようと思う。

大阪の事はよく解らないのだが、橋下行政を「監視」するシンクタンクに「思想家の」内田樹氏が就任って凄いよなと思う。思想の中に民意がどう収納されてるか全く解らない戦後思想家(エッセイスト)。
うーん。そのうち拡大解釈で、「オレらの「思想」を解さない市民(社会)は成熟に必要な通過儀礼を通ってないので監視しようぜ」ってなるんじゃないかと推測する。その時連れ戻されるのはもはやどうでもいいポストモダンというか、絶対化される5月革命の景色とこの人たちが消費を通じて闘争から解放されちゃった「ナイスな」80年代的興行の景色の中だと思う。
今2012年なのに、そのフェーズを通った成熟しか許容出来ないのなら思想家でも何でもないし、裏でメディアスクラムみたいな事をするとなると、そちらの方が監視の必要性高いと思うのだが。

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「オレらの「思想」を解さない市民(社会)は、脳科学的に言うとミラーニューロンが発達していないんだぜ、
「悪いおじさん」たちで洗脳してやろうか」となると結構凄惨(でもその凄惨さって冷戦構造下で一回生きられた
ものの気もする)。

媒介や他人のパトグラフィーを監視し書く病者(とみなされた単なる、普通の意識)というものがあってもいいように思う(大体病気で稼いでたのは限定された時代の、一番下らない媒介たちだったので)。

オメガポイントの話は読んでもよく解らなそうなのだが、ちょっと面白そう。