チューリップ

・・・職場から帰り際に引き続き「悪について」を読書(全く内在的な
ものとして)。
リラ色と黄色と白を重視というのは何か不思議なセンスだなと思いつつ
品種改良したらしいチューリップに(前回咲いたものも)別の色彩が混ざる
のが面白いなぁという気に。気がつけば桜も満開だが、5月過ぎの葉桜と
その後小さくてつやつやのサクランボが地面に落ちてくるところがいいなぁ
と思うのだった。

この花瓶の厚ぼったくてあめ色の地に、磨りガラスで模様がついているところ
が好き(丈の低い花を容れられる)。

           ♪
シュタイナーが唯物論的な悪の起源だと書く、「19世紀の40年代」にあまり
ネガティヴなイメージを持っていない事に気づく。

           ♪
 ナチの侵攻もそうだが日常的な統覚の置き所とフォルムがずれて
なにも言えない、所字もできないものの集積になるプロセスがあったはずで、
それは神秘主義的なワークの一環で現れる状態ととてもよく似ていたのではな
いか、という思いがある(その移動と経緯についての感覚を具体化したかった、
ということ)。
        
           ♪
紙一重を判断する権限が、最初から誤作動しているものに委譲されているとしたら。
「DSM、精神分析脳科学 いずれをとっても症候でしかない系男子」・・・言いにくい。


電車に乗りながら「悪について」読みきる。不意の熱狂(ティヤール・ド・シャルダンからも
感じた)。カトリシズム特有のものなのだろうか。植物の芽吹きについての文章がとても
素敵で、シュタイナー全然わけが分からないのだが、部分的にとても納得できる、という
気がする。