思弁は思弁/クナイプはとてもいい会社

・・・買い物を終えて帰り道、単純な違和感として「思弁は思弁でしょ」「科学は科学で」「写真だって写真なのだし」
みたいなことをふわっと並列的に(要は「人間関係」に還元されない)。というのも、茂木健一郎Twitterで「最低限
の文化的な生活には人と人のつながりが含まれる」と書いているのだが、もうそれに根源的な部分で違和を感じている
のだと思う(意識や科学的事実の内容物が、人間関係や無理押しの言い値でころころ変わるというのもおかしい話じゃ
ないんだろうか)。大体本当に、なぜしつこいのだろうか。(韓国系カルトの人間関係、がどんなものかよく解らない
が、そんなものに無尽蔵に没入するほどその国に親和してないと思う)。
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 撮る対象との間に一瞬空位みたいなものがある写真は面白いが(ダイアン・アーバスみたいなフリーキーなのも)、
他人と距離をひたすら詰めるための写真だの文章だの死ぬほど下らない。
(「韻文で写真撮影すること」・・・すごい)。
 カーネーションも植え替えが必要。

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家の外に家守を発見する。温かいライン探して出てくるねと思う(2011年4月4日も。これは家の中だったため採るのに細心)。かわいらしい。鳴いていたのか喉が動いていた。

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2011-12-20  に続き、クナイプからまた貰いものをする。モニターのようだけどクナイプは疑いなくいい会社。
にしてもほんと、「クオリア理論」何なのか。こんなもの勝手に焼き直しをしても仕方ないと思われる。
全く精神性が感じられない。ノーベル賞はともかくとして何の原理原則を見つけたのか、見つけうるのか明示
すべきじゃないかという気に。

 入浴剤でも雑貨でもオーソライズされてるってこういう事なんじゃないかと思う。やみくもに攻撃的になって
精神の謎を解くとか、ダブスタで雑貨作ったりというのはおかしいんじゃないかという気に。