エスノグラフィー・何処まで


サイズ的に懸念のない感じがする巣の
中の燕(時々スーッと飛んでる)。
    ♪
柳田学の具体的で整合性が取れてるところが
好きなのだという事も感じつつ、民俗学
の裾野というか、自分の情動の何処までが
何によって境界画定されてるかを思う。
大変に気分がよく、癒される(導かれる)
感覚(大体がコロコロ鳴く鳥、とかそういう
ものの民俗誌がもしあれば、書いてみたいという
気分を掻き立てられる)。
     ♪
官僚化に与する特定の国やら宗派、というのが妄想の
筈はないじゃんという気に。
「常民への照射」。常民や文学的に3軸開けた想像力、からしてみると、日本も中国も韓国もツヤツヤした大変いいとこに思えて、鳥は国境関係ないからというのも合理的で自由な話に思えるが、心身が媒介される新興宗教とか現実の力動に結ばれると途端にグロテスク。それがどれくらい現実を毒したのか、ちゃんと検証すべきなのだと思うが(そして谷川民俗学吉本隆明に通底するものも思う)。