谷川民俗学の再読

というよりも、読んでいなかったものを読んでみる事によって稀薄ではない原風景のようなものに触れるような気が。(在るものがしっかりと心理的な内在性と結び付いている感じ)。

見通しを立てつつ嫌がらせ(ストーカー)の被害届の全面受理が今更という事に、なんかしょうもないもんを感じる。なんかしょうもないもん、としか言い様のない、ある種の気恥ずかしさ。
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運転出来るようにはなったが却って自転車に乗って運動不足解消、という事が殆どなかったことを思い出し、ちょっと
だけ乗ろうかと思うのだが、以前それでどれくらいの距離遠出をしてたか不明といえば不明。そうやって身体化さ
れていた事柄が、何か一個可能になると不鮮明になるのはちょっと悲しい事にも思える。(10キロ位はすぐなんだろうが、
乗れば乗ったで今までのブランクが響くというのはありそうな事ではある)。
 要は自転車に乗ってよそで写真取る、みたいな事を数時間だけしたいのだが(夏休みっぽい)その程度の事には衒いも機械化も関係ないだろうと。
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仕事や用事で東京に出た際、路線図みたいなものとか地図を頭に入れて電車だの車に乗るとか、そういうことがもっと機械に頼らず出来るようにしようと思う、つくづく。