セプティマス・ウォーレン・スミス

・・・は、「ダロウェイ夫人」の登場人物だが、スタンスとか人物像を
人に説明しようと思うと結構困難が付きまとう気もする(戦時下の
抑圧から解体した意識のクラスタばかりを選び取っていた?)
              ♪
断片的な情報を、何か自分の本質として選び取ってしまって誤作動
する、というのと、根本的に損なわれてる状況がある(例えば戦乱と
か過度のコントロールされた情報空間におかれている)というのとだ
と全然違う、そういう事。
「ダロウェイ夫人」は今でもとても好きなのだが、やっぱり昔の文学者は
生起したことをありのままに包括的に描こうとしてたのだ。
だから本の流通や資金繰りの必要から、言及されない一面が残ってしまうのも、
特定の喩に縛られて全体がぎこちなくなるのも違う。
にしても「意識の流れ」を考えのモチーフにしたかった(とりわけ日本語で
成立しなかった事に違和感があった)というのを、単に傾向なしに説明しよう
とするのって難しい。