これは

驚いた、というのに、DURALEXのグラスが某100円ショップでひとつ100円で売られていた
事。新製品であり、形もピカルディーだけではなかった。置いたらそれだけでユラユラした
詩情のあるきれいな雰囲気になるなという気に。ちょっと胸が詰まるが(100円で買えるという
ことに)。ピカルディーとぜんぜん違う喫茶店のコップみたいな懐かしい形のを二個買う。
いつも小さめの花を活けるのにつかってるコップと同じ位のサイズの、ハンドルのついた
グラスみたいのもひとつ(※飲酒を連想させると「違う」ので加筆訂正)。
                 ♪
バーナード・リーチ 日本絵日記」と「冥土めぐり」を立て続けに。読みながらもうとにかく
昔のように本を本として読み取れればそれでいいや、という気に。

                 ♪
「冥土めぐり」を単行本で。久しぶりに日本の現代小説の単行本を買う。
全然この作品と関係ないのだが「裕福だった過去の回想」の非成立がどれだけ
小説空間に影響を与えるか、みたいな事を淡々と考えるうちに(電車乗りながら)
考えれば自分自身は300円位の何かに夢中だった事もあるし、ある時期からバブルの再来
みたいな事を目論む人に殆ど記憶を搾取されてるんじゃないか、というような事を
思う。
恐らく90年代以降に大学出て派遣社員をしてた女性の弟と、過去の社交界(のような
もの)の残像に固執する母親の回想する「裕福だった過去」は、それ自体バブルの時
期とはずれてるので不思議な感じで、バブルとかポストモダンの小説に書かれている
記号的な蕩尽よりアナクロで生々しい感じなのだが(個人的に豊かだった事の生々し
さというか)、単に現実の出版業界の事を考えると、そういうものと関係なく昭和軽
薄体だのポストモダンが未だに数人の(論壇的なおっさんの)要請で焼きなおされて
おり、ひどい時にはパクリのままの作品が流通し、しかもそういう事に対する内在的
な規範(それは道徳的な感じというより単にヘンじゃないか、という違和の感覚)も
成り立ちにくいのだ、ということを淡々と思う(もう全然ポ
ストモダンでも何でもないにも関わらず、そういう人たちの論旨だけインフレ状態という
異様な事態というか)。
エクリチュール・フェミナンの文学作品が沢山出てた頃に面白いと思って読んでいた感覚
からしても、やっぱり脳科学だの未だにポストモダンみたいな話の濫造はすごくおかしい
のじゃないか、という気に。
それから脳の疾患が問題になる現代小説って多いんだなぁと思う(クリスタ・ヴォルフも
マキューアンも書いてた)。
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脳科学についても文芸批評についても、単に私からパクってる人でなく私の発想がオリジナル
なのだから私が原稿料もらわない理由がない。第一概ね40代以降の冴えないおっさんか、それ
に追従して変態行為を受け入れた手垢のついたおばさんや整形女子に比べて自分の何が悪いの
か全く理解出来ない気に。
               ♪
糸井重里的なもの」のいらない感じの中には明らかに衛生管理のおかしさが含まれている
ような気がする。
「白髪三千丈 領土境界に敵船1000そう 論文の盗用装飾水増し 手帳46万部」なんか一定以上の決まり事があるような。最初からミニマルに気分よく考えたい。         ♪
バーナード・リーチ 日本絵日記」は、なんだか読んでて別世界のように思える、でも
紛れもなく日本についてのお話なのだが、食器類を見るのが大変に楽しみ。
素朴でふんわりした重層的な日本らしさ。
刺し子の布団で寝起きする、みたいな贅沢があったらしてみたいと思われる。