うれしい

お家でとてもうれしい報せが届く。

気象予報士一般科目に合格したため、来年1月に向けて今から実技の勉強することに。来年からは
インテリアと気象現象について、何か何らかのかたちで兼用出来ないか、ということをぼんやり
考える(理想的には、外でぼやっとしている時の気象状態を上手いこと分析出来るようになりたいの
だが、どうなのか)。
専門知識のドップラーレーダーの四次元同位というところで考え込んでしまったのだが、確かに
・三次元空間に時間が外挿されると四次元というのは、言われてみればそういう事なのか
と思うにしろ、レーダーで計測した物事に時間枠を作用させて予測するのって何だか気持ち悪い。

以前心身二元論のうち、心理的領域の作用とオブジェクトとしての身体を分離させたら、ただのモノとしての身体が
念で動くとかそういう基本的におかしい話になってしまうという話を(まともな美術批評家の方のブログを引いて)
書いた事があったが、そういうのと同じで、空間的に成立しているモノに時間作用を読み込むとか、
モノ自体全部電磁場だ、という事を考え合わせてみると、人身の電磁的作用を調べさせるのは、幾らでも
可能な事のように思え、何に権限が委譲されてるのか、何に采配を振わせるべきじゃないかをはっきりさせる必要
があると思うのだけれども。
例えば「叙情」というのは電磁場の作用ではない。し、単に現象学的に定立してる普通の人の精神的空間や生活
世界もやっぱり電磁場ではない(というより電磁場として取り扱われてしまったら困ってしまう。
にも関わらず一面で幾らでもピントのずれた事を出来るのが現状じゃないか、という気がする。
こういうのを付け焼刃で新興宗教が使っていたら凄く気分悪いという気に。
               ♪
叙情や詩歌や内在性というのは曝されずに意味を持つべきだし、例えば被災してしまったらやっぱり傷が癒えるまで色々な
感情を確かめていていいのだろうという気に。
               ♪
ミシェル・トゥルニエの「気象」は凄い変な話なのだが(以前読んでもピンとこなかった)、天気と隠語の運用も今読んだら
リアリティあるんじゃないかという気に。(にしても勝手に韓国系カルト化や極左化した仏文学の不気味さという事を思う。やっぱり仏教系カルトと相容れない国のように思うのだが)
               ♪
「ピエール・リヴィエールの犯罪」とか「シャトレ哲学史」(大変な憧れがあったがまだ全く読んでない)を宗教のバックア
ップつきの妙な科学で焼きなおすとか「演算」とかあり得んのという気がし、何か存在論的な部分にある詐病でない痛みの感覚に対して、
ものすごい誤解があるのじゃないか、という気に(そういうものを差し置いて、80年代的な「クリエイティヴィティ」の
形式だけ回帰、というのも同じくあり得んのという気がする。どこまで図々しい人たち)。