大槻教授宛営業

仕事の帰りに色々と考えごとをしながら。大槻教授が凄い勢いで気象予報士を否定してるのだが…
大槻教授宛営業、というより人のブログの内容を勝手に意識して更新するのなら仕事を下さいよと
思う(科学的というか統計的に判断しても、気象予報士の話題と気持ちの悪い理科教師の話が短期間に
だぶっている。現況急に科学知に目覚めて凄く賢くなった訳でなく、一応仕事内容に替わりはない為、
家建てるか内装の遣り変えでもする時に不必要に言及された分仕事が回って来るなら大変意味がある
のだが。あと私は気持ちの悪いものを敵に回したせいで、本人は至って真っ当なのにも関わらず言わ
れすぎというか芽をつまれすぎという気がする。気象の勉強以外に社用車運転したりもしないといけないし。。。あと一応取
得を目指している人が結構居る国家資格の為、
大槻教授が「気象予報士は気象の専門家ではない」と書くのはちょっと言い過ぎのような気もする
のだが)。しかも意味不明の検索語で検索された形跡が(何故急にブログタイトルでの検索件数が
伸びてるのだろうか)。

糸井重里については、ほんと完璧にパーソナリティ障害だという気がするし、この一番上の
盗癖塗れの画家より一回り以上若い私がオーソドックスに批評を書いた方が、まともで売れる批評が
産出出来ると思う。
他、今年は何と言うか「図々しさ」について考えさせられた年でもあり(一番図々しい感じの
とこからはまともに回収出来てよかったが)、来年は特に自分より年配で
私の発想を全面的にパクッてる者の(文筆業)の原稿料を、堅気の仕事しながら(堅気じゃなかった事
なぞ今までもこれからもないのだが)全面的に回収していこうという気に。
そうでないと45過ぎで生活力が無く、車も運転出来ず作品も下手で批評は人の盗用という廃材が私に迷惑
を掛け続けるという、おかしい話になってしまう。私が仕事は仕事でパクられず、ドゥルーズならドゥルーズ
(「差異と反復」だけをもう一度読み直さねば)、現代文学ならそれについての論評で原稿料を頂けば
いいだけのようにも思う(盗用や利権団体頼みで本を作る事自体本来ならしちゃいけない事の筈であり、
そういうものは絶版にするべきだと思うのだが)。
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尼崎の事件のあんまりにも酷い感じもそうなのだが、人間の精神/身体的与件をあんまりにも悲惨な
方向に改変するような体制にコミットしたものは、全部行為障害と固有名を結びつけて批判する事が
必要だと思うこと頻り。正当防衛として危険や汚穢を回避する必要性を考えるとほんと仕方ない。
脳科学も含めて、やっぱり利権団体絡みで部数確保してる論壇のモードが全面的に黒いんじゃないか
という気になる。「下衆成金」とは言ったものだよねというか(どう考えても「バカの壁」が全面的におかしい。生きた人間を死体のように解剖したい、と言われる位グロで変な本)。
ほぼ日手帳」、来年ロフトから撤退する位にまで貶せないかなぁという気がする。
糸井重里の本性は:http://www.futoko.org/special/special-21/page1228-591.htmlこういう
ものであり、他国の人間にたかる特定の国のメンタリティそのものと記憶した方がいいと思う。

              ♪
マインドコントロールの初動で出来てしまう事と(思考の外部からのトレースは実際の所可能で、その
せいで自我構造が弱まってそのままずーっと嫌がらせというケースは無くないと思える)、ファシスト
体制的なものの批判は最低限踏まえない限りベンヤミンを読んでも仕方ないだろうなという気がしなが
らも、もう少し掘り下げたい中井正一ベンヤミンについて一々抜けが悪いという気に。
(中井もベンヤミンも暴力に加担するものとしての警察や圧力団体の、完璧な被害者という事が言える
ような気がする)
「暴力批判論」のベンヤミンを読むのは結構しんどい作業だが、その頃に輪を掛けて明確な圧力と暴力の
出所がある、というのは妄想でも何でも無く、単にファシスト体制下を生きてるようなものなのでは
ないかと。
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天気図の学習(?)の為にああでもないこうでもないしながら、科学も大事だがもっと必要なのは現象学なのではないかというような事を思う。要は恒常性を保って自明で日常的な視座まで戻ってゆくような観点が。その上で相対的にプラスになるような出来事を上積みしていけばよい訳であり、その過程で考えたり感じたりする前提があまりにも改変されていたら(正当に)指摘すべきなのではないかと。
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(単に内在的なメモとして)ドゥルーズの妙な微積分についての説話や統計についての説話はそれだけ無機質化して数理的な事実として取り出すのが出来ないような気がするのだが(それを言うとすれば構造主義自体がそうだし中井の「委員会の論理」の図式だって分離出来ない)
下衆なのに能書きだけ演算して他人の盗用ばかりの人間が生きていけるアート業界を今更ながらはき溜めのように思う。
(盗用以外のオーソドックスな事が出来る画家にもっと権限を持たせるべきかと思うのだが)