これはもう


食べてしまった。(アイシングがとても沢山かかっていてビスケット自体の
味が分からなかったが)。躍動感があってよろしい。どっかに飛んでゆくところ。
           ♪
パスカルキニャールでコンスタントに検索があるなと思う。丁度95年の事件の
後に「アルブキウス」を読んだのが初めだったが、翻訳者の方が後書きで事件に触れており、
それと一枚隔てたところで何となく(心裡から来るような)、思弁的でテロなど
届かないところがあるような気がしていた(全部吹きさらしではあっても)。
その頃に比べると異様な位戯画的な世の中になっている気が(ある宗派が世界を統合したり
だの意識の謎が解けるとかあり得ない訳で)。
差異と内在性というのは(たとえ何らかの観点が思考や記憶をひとしなみに取り扱おうとしても)依然何で発生したか分からない謎として残る訳であり、神学にせよファシスト体制(警察国家?)的なものにせよその概念とは容れあわない部分があるのだろうし(カフカベンヤミンが書いたのはそういう事じゃなかったのか)、結局それを書ききるのは文学の仕事のように思う。(ここで改めて差異とか差延という概念の具体性を思う)