黙示録

も、そうだがちゃんと読み返すと「狂気の愛」に、地震を起こすプランという小説の事が載っていて興味深い(エトナ山の噴火についてだが)。類型的な発想なのかなとも思う。

類型からファシスト体制的圧迫が興るというのは絶対あることのように思うが。 ♪
仏教に取り込まれてるにしろキリスト教に取り込まれてるにしろ、非合理で抑圧的な思考をもっと割り切って説明した上で、ちゃんと自明なものの域に権限をかえす必要があるのではないかという事を。

ドゥルーズデリダも差異よく出てくるなと(今更ながら)思うが、(私自身は)文学史上の差異が精確には何なのか突き止め切れてない気しかしない。

糸井重里のような人に対してマニピュレート(大衆懐柔)は言い過ぎというか、単に何も買わないので全く筋違いな話なのだが、脳科学者が政治にコミットして何か即物的な懐柔が絡むとしたら異様で気味の悪い話と思う。このあたりの事情をもっと現実感覚に即して明示出来るはずと思うのだが。

民主主義の不全というより政教分離してないせいで、お前になんか絶対投票しませんという政党が陰で他人を恐慌に陥れる可能性があるというのは凄い(そこに脳を高度に即物的に扱う擬似問題−クオリアのような−が絡んだらどうなるのか。投票以前にメディアへの露出と洗脳が問題になるような話は気分悪い気がする)。
オウムの分派に入信者過去最高というのにも絶句。 ぎりぎり麻原という人が選挙活動していた記憶を持たないのだが、その前段階でその教団の人どもがポストモダン的な感覚に適合出来ずまつろわない邪教と仏教を重ねたみたいな教義を作り上げてテロに走った、という説明を凄く鮮明に覚えており、何で似たような話をもっと大きいカルトで焼直ししてるのかと思う。
その頃からずっと、どちらかと言えば感じ悪いオカルトを煽る側だったクリエイターに用はなく、大体普通のクリエイターは悪人正機という言葉を曲解せずイラストレータ使って手帳のデザインしてるのだと思うが。いちいち悪相と下らない消費社会論がついてまわるだけでなく、他人の盗用はするわしつこいわで、糸井重里ほんとに韓国人男性のおかしい感じの見本みたいに思えるのだが。

某所ロフトで今ほぼ日手帳だけ他の手帳と別の通路に面して置かれており、素直に高橋の手帳とかデルフォニクスだけでいいですよと思う。