点景として

道の真ん中でごみを漁ってるカラスが、相当高いところを飛んでから
やっぱり道の中程にいた白猫を襲撃しそうになり、猫は一瞬ものすごい
まん丸にフワっと膨らんでから逃げた(ほんとに丸めた位に円形に
なった)。なかなかいい感じ。
近所で飼われてるダックスフントが歩く時小刻みでとてもかわいい。

クオリア理論が擬似問題でも実害を被る人が少なければ問題視されないのだろうが、脳についてあれこれ言う人間がリアルポリティクスで采配を振るうとほんとに薬物とか神経工学で洗脳される人が出てくる、と思う(オウムのヘッドギアの怪しさや投薬でマインドコントロールしていた事を思い返す)。茂木健一郎が「脳内革命」の著者のように吊されてないのは単に医師として臨床を持っていないからで、本当は生きた人間に対するエティック不在のところで脳を云々言う姿勢に、過度の人権感覚のおかしさが温存されているのだと思うが。
脱税の時点でメディアから消えてないのもどうかと思うが、一回まともに検挙された方が茂木健一郎という人にとってもいいのじゃないかという気がする。思想やら哲学やら売り物にしていて、ここまで嫌われて生き恥さらしている人は日本文学史上他にないように思うのだが。

黙示録単に面白い。

茂木が持ち出す「量子論的には自由意志などない」という論が、単に法律やってる彼女に振られた理系の男のきちがいロジックに思えて仕方なく、まともな科学者からはこの手の詭弁の匂いはしない。監禁された人に物理的自由はないので監禁という状態を諦めろ、と、普通人は考えないし言わないと思うのだが、クオリア理論を姑息に擬似問題化しながらそういう詭弁を政治の舞台に乗せてとことんまで脱法行為をひっぱろうとしているところに、気持ちの悪さと多分愛嬌としても理解不能な何かがある(50男の実体を伴わない精神的な変質でしかないんじゃないか、と思う)。市民権とか法のなかに留保されてるものって意外と多くて、それが日本の警察を(いかがわしいという意味での)東南アジアみたいな警察とか中国の秘密警察のようなネガティブなイメージから守っていたと思うのだが、そういうものみんな気に食わないなら(東アジア共同体の可能は別として)、何か血縁とネットワークで犯罪が如何様にもなる国に移住すべきだと思うのだが。(尼崎の事件照らすと、日本そういう国なのかも知れないが)
物理状態としての自由意志のなさなんぞよっぽどダウナーじゃない限り問題に出来ないし、洗脳されてる脳は物理的な自由度が低いだろうが、普通の感覚ではそれに居直る物理学者に政治的采配を振るわれたくない。愛嬌で切り返そうとしても服装とか目付きとかたたずまいがぼやっと気持ち悪いので、絶対得票出来ないというのがこの先の(不自由な)政治的顛末じゃないだろうか。
自由意志の物理的なホールドが脳科学の立場として可能なら、尚のこと擬制としてそういう事禁止しないといけないのだが。
長期的な自由意志はなくとも短期的な嫌悪感を地道に表明する事により、擬勢でも怪しい脳科学に対するまともな感覚の優位を示したい。