トリニティ

プロテスタントいいのはさっぱりしててきびきびしてるとこかという気もする。トリニティの聖霊による洗礼というのが(単にあのオリーブの葉っぱを口に加えた鳩が好きなので)とても敬虔さを欠いたかたちでしか思い浮かばないが。

こんな事も自分のなかで仏教系カルトが問題になってなかったら思い出してない気がするのだが、キリスト教バイアスの人間を創価に入信させるの限りなく無理な気がするのだが。

無事合鴨購入。これで美味しい年越し蕎麦が食べられる。

年末にそんな事を知ることができてとても嬉しかったのだが、ガタリがバーダー・マインホフのメンバーがテロリストにならないように説得していた事があるという記述が、伝記にあるらしい。そのうち読んでみたいと思う。徹頭徹尾八十年代的なものとカルトの結び付きを胡散臭く思うのは、結局こういうところにどうしょもない差異の感覚があらわれるからなのだ。
ガタリ九十五年には亡くなっていた訳だが、日本の場合オウム的な思想のバックアップになったのも赤軍的なこなれない極左のモードであり、その後テロ的な感覚をもと全共闘がたしなめたり説得したという話は聞かず、結局自分が問題視される前に他人を暴力的に統制する必要があるので世界的にカルトと見なされている団体と組んでいるというだけの事に思える。そこで精神疾患の症候を再生産して適当な話をでっち上げないと思想業界というものが回らないのだろうというのも、異常な位寒い話に思える。糸井重里内田樹先生的なものが迷惑なのもそんな理由による。いい加減、昭和軽薄体? のようなものを含めた日本の八十年代的な話と、トータルで展開されてる個別の思想家なり哲学者の違いを問題にすべきだと思うのだが。

ヴァージン・スーサイズのような話を60代で展開しており拝跪の対象がカルト内で無力化された対象という話であれば大変に気持ち悪い気がする。

運転しつつ今日がパティ・スミスの誕生日というラジオの放送。「ビコーズ・ザ・ナイト」歌うがてきめんに喉痛い。

盗用癖と覗き癖がある時点で色々カサに着ないで欲しいと思うが、一度逆ギレすると迷惑掛け切らないと何かした気にならないという事なのだろうかしらと思う。糸井重里ほんとに刑事告発したい。というより、嫌がらせが始まった時点で刑事以外全く考えられなかったが、ストーカー規制法が完璧にザル法だった事が痛い程はっきりした年だったように思う。

カフカ論も大変によかった。ガタリにしろドゥルーズにしろなんだか極めて真っ当で可憐ないい人に思えるのだが、哲学だの以前に人としてどうなの過ぎる、年齢も初老の男どうにかならないんだろうか。

そういえばパティ・スミスも大病だか事故に遭ったあとキリスト教の洗礼を受けたという話を聞いた事があるような気がし、やっぱりそんなマイナーな宗教でもなく逆にカルトが蓄財してる分情報操作したりメディアスクラムまがいの行動を取って、起きた事の内実が全く説明されない国の方がどうかしてるように思える。数名の不審死にそのカルトが関わっているという事に、ほんと許せないという感慨しか持てない。(アルバム数枚しか聴いてないがPeace and noise がいちばん好き。ミル・プラトーパティ・スミス引用されていたが) ♪
たまたま思い出せるのがごく一般的なキリスト教のフォームであるというだけで、宗教自体あまり固執することも触れることも無くていいという気がするのだが。
潜在的にはみんなそのカルト嫌いなのだ。というかおじさんやおばさん以外に入信している人を見たことがないのだが、テレビやら論壇で顕在化してる信者がやっぱりおかしいのだと思う。ごく当たり前に、成金でテレビに出てるから他人に宗教を強制していいはずないのだが。

たまたま私に迷惑を掛け続けているが、糸井重里内田樹先生のような人は他人に迷惑を掛ける可能性も大いにあると思う。
よく理解出来ないのは異様な尊大さであり、普通に考えたら二枚舌で新興宗教の裏金に手を着けているだけで最悪な人種のような気がするのだが。

脳に音声を送信されていると言明したりそれが原因で亡くなってしまった方がいるようであり、私は言明したことがない事を何故かホールドされてて気持ち悪くてもそんな酷い目には遭ってないため、ほんとならとても気の毒に思う。仮に本当に統合失調だとしても治せばよいのだし(変な診療内科には絶対かかるべきじゃないが)、そういう精神的なアビューズがあるのなら、それこそ厳密に情報開示すべきと思う。

愛用している三角スケールの開きになったものが見当たらず、こんなタイミングで買うのも違う気がするのだが製図用のシャープペンシルはどっちにしても一本いる。何故か二回、ステッドラーのもののシン先が駄目になっているのだが。

鴨南蛮とても美味しく頂く。