パース

を描きつつ、三角スケールの開き何処にいっちゃったのかしらという気に。

自分の内面にかかった負荷の事を考えると、それでこれだけ常識的かつ生真面目に生きてるのだから巨額脱税者を自殺に追い込んで欲しいもんだわと思う。というより、茂木の原稿料のうち大半がパクりのネタ元に支払われるべきじゃないのか。私以外にも同じような事されている人も居るような気がするのと、クオリア自体は別に薄っぺらい概念じゃない気がする為、尚のこと茂木が全面的に薄汚い気がするのだが。
何かこう、症例や心の障害に過ぎないものを、市場にばらまくタイプの人が(そのバックアップが新興宗教というだけで)ここまで見過ごされているのもおかしな話よねという気がする。麻原とはまた違うタイプだけれど明らかにサイコパス。今朝のツイッターの、「他人にされてイヤな事は、自分もしない」というくだりを読んで笑ってしまう。茂木健一郎は警告してから7年嫌がらせを続ける変質者だと、まともに社会に知らしめたい。脳科学者(といっても医学的には役立たず)の権限を濫用して、人の個人情報に手を付け続けている詐欺師のセリフではないと思うのだが。殆ど丸抱えに近い程個人情報をホールドしてくる気持ち悪さ。
脱税に続けて、略取と盗癖のイメージがまともに行き渡って、二度とテレビで仕事出来なくなればよいのに、と思う。引き続き地道に、警察には嫌がらせの内実を伝えていきたい。

憑依現象や降霊についての、人文科学的に明確な概念とか定義といったものがあるのだとすれば関心があるし、エリアーデのように単に自分の心理的状態と切り離して読めれば安心して面白がれる気がするが、そうじゃなく人から本気で呪われたり(?)したくないものよねと思う。オカルト以前に何なのそれという気しかしない。
多分その仏教系カルトの中心にあるのは見え透いた脅動行為なのだが、それを都度科学だの文学に見せ掛けるから無駄で面倒な事になるのかと思う。

ips細胞とか準結晶のように、明瞭に自然現象から養分を得て役にたってる科学的発見がノーベル賞を貰ってるのを見ると、あまり上手く言えないのだがやっぱり人間の感性的構成(直観とか?)と自然物と進歩的な発見の間に、何か相関関係があるのじゃないかという気がし、それは「茂木クオリア理論」とか「養老クオリア理論」みたいな曖昧なものに与えられてないのではと思う。というよりクオリア自体が何かの方便に過ぎず、普通の人権感覚では到底それに自分の精神性だの神経系に割り当てられた思考を提供する気になれない。
にも関わらず、経済的に卓越した事が原因でなし崩しに何かの(身体にも意識にも有意義でない)オペレーションが駆動したというのが実情だと思う。(このあたりをもっと確定的に、どんな技術で何が何処まで可視化されるのか、しっかり明確にした上で、基本的には透過も干渉もされずまして専横的なカルトに一つも傷つかないような生活を、絶対に擁護したいと思う)。

某市議の転落死にカルトが関わっているというのが、その事に全く深入り出来ないとしても気の毒過ぎて何だか色んな事が言葉にならない。サリンの被害者の方もそうだが。都度仏教系カルトの粗暴さを元手に増長する人たちがおり、結局糸井重里も茂木もそういう系列の人間にしか思えない。