ねんど?

頻繁に名前を見るインテリア事務所。新宿のオゾンがそうなのと同じで宗教色が希薄でつるっとしてて気持ちのよいものを作ってるのだと思うが、そういう感覚からするといちいち言い訳がましく宗派性が問題になるのはものすごく変。そんな事をつらつら思いながら品川の駅ビルに寄るとまた改装されており、雰囲気が悪くないので煩わされてる意味不明の出来事がいかにいびつかゾッとする。

一部の猿に過ぎないクリエイターが病んでるような病み方と全く無縁の感覚の方が一般的に思え、今更ながら使い勝手とか肌触りみたいなものについてつらつら考える(その事についてはなんか、全く偉そうな事を言えず、単に居心地とか雰囲気がいいものが継続的に盛り込まれている場所が回帰してくるから凄い、と思うだけなのだが。ちゃんとしないと)。

ベンヤミンの「幸福な少年時代を過ごして回想しきらなかった」というところに、自分はどうしょもなく惹き付けられている、と感じる。回想しきらなかったと書くのは失礼であり、ただ単に思い出しつつ構成出来る事がその時代の幅を越えてつくづく多かったのだろうなぁと。

ダックスフントはどの色も毛並みがつやつやしてていい感じというか、単にカールした毛が素敵。
最近ラスカルと同じ色の猫を見ない。
      ♪
リアランスについてベンヤミンが殆ど我が意を得たり、と思えるような事を書いていた
箇所があるが、少ししてから読もうと思う。複雑系もそうなのだが与件がどうで
あれこう成り立つ事の奇跡、ヴィヴィッドな感覚がとても身に沁みる(カオスの
縁、という言葉に対してリアリティを感じる)。
心身で一度切りのバランスとその喪失を切り出している事への畏れ。
      ♪
(全く応募する予定はないにしても)nendoの事務所の「クリエイター職」が何を
前提としているか確認したところ、「ものつくり」はillustlatorとPhotoshop
スペース関係はVector worksとあって、環境だけで言うとこれは両方とも用意
がある為、尚のことやっぱり団塊(というかもと新人類)のクリエイターがずれ
てる気がする(これしっかり習得すると、一般的なクリエイター職で凌いでいく
方途がある訳であり、出来たり持っているだけでは全然勉強不足極まりないと
いう事だと思うのだが)。それに対して昭和軽薄体だの疑似科学だの盗用で稼ぎたい
人間が公共の放送なり出版業界でいい加減な事をしているのなら、やっぱり内実を
しっかり明らかにするべきという気がする。
(Macにゾッとするようなやり取りの記録が残っており、それは同世代の女性が
とんでもない目に遭ってる状態でのメールなのだが。改めて尼崎の事件と同等
の精神構造の人たちが、単に新興宗教つながりでやってけてる事の異常を思う)。
      ♪
数日前にヘンなコメントをつけていったのは糸井重里周辺の人間なのだろうが、
何かそういう事が全然認識出来ないまま「みんなで楽しく」みたいな事を
考えているとしたら気持ち悪いというか、完璧に病気じゃないのかという
気に。

サブカル的死生観が全く心理に響かないという事なのだが、思いだした為覚書として。
「自殺されちゃった僕」という、青山正明の同僚だった編集者の方が立て続けに周囲に3人自殺者が出てから書いた本を、おそらく出てすぐ位に本屋で立ち読みした(2004年位の事だ)。亡くなったのは青山正明と、ねこぢるという漫画家と著者の妻なのだが、その中でやり取りされてる所謂90年代サブカルみたいな感覚のうち、恥ずかし気もなく新興宗教の裏金に手をつけて延命を図れるものが多分人を自殺に追い込むか精神病化させて入院させる、という話に活路を見いだしているのだろうなぁ、という感覚があり(コメントを頂いてそういう事に思い至る)、これはもし同様の被害に遭って私の日記を見て多少なりとも心理的な整理がつく方が居るのなら、末端の工作員?をそういうものとして割り切って元気を取り戻して欲しいと思う(といっても割り切りの方法は模索中で、単に法規制をどんどん進めて愚にもつかないものを排除すべきだと思うのだがそうはなってないのが現状なのだし、悪い事にこの本が出てすぐ位からそういう特殊な、というのは薬物だの感覚の変容だのを取り沙汰して生体に無理のある形でセンスエリートであろうとするようなお話が、マイナーな話じゃなく露骨に統制の手段として色々な層に吸収されてるような気がする)。
「養老クオリア理論」だの茂木健一郎的なものがいかがわしく見えるのは、結局大上壇に構えていても脳と感覚の臨床的に有意義な形象を取り出す事が目指されているのではなく(かといって思弁や哲学としての由来をはっきり整理して提示する訳でもなく…チャーマーズという人はそういう事をしてるみたいなのだが)、単にそういう動機があるだけだからじゃないか、という気がする。尚更公共の放送で取り沙汰すべきなのかよく解らないが。

感覚の変容が、致死性が高かったり精神病になりかねないような手段と結びついており、そこに物騒なものが色々と絡んでるなら尚の事(普通に)そちらをリダクションすべきかと思う。