快晴

あまりにも天気が良くてやっぱりさんさんと陽の光を浴びるのは大事だなと思いつつ、渋滞に巻き込まれたせいで「痛車」を見て衝撃を受ける(でもecritureというレタリングを地味に施したじぶんの車も地味に痛車か)。

フランシス・ベーコンがあんまり好きじゃない…というのを決定づけた事柄があり、ポンピドー・センター展を現代美術館でしていた時にジャコメッティと一緒に作品を見た事を思い返す(その後「感覚の論理」は途中で投げ出した)。
けれどまとめて見て(喘息の)身体の抱える、なんとなく複雑なリアリティに打たれるような気分に。背骨とか頚椎のラインが外れて外部化されるような感覚というのは分かる気がする。といってもものすごく荒々しい画なのだが、ベーコンがアトリエだけで六百冊位本を所有していたというのに何だか納得する。
教皇を描いているのが特定期間(第二バチカン公会議の終わる65年まで)で、これは特権的な超越性のある教皇に意味を見いだしてたからではないかという解説が面白く、ふーんと思いながら。作品に金色のシンプルな額装とガラスを指定してた事も。
ミシェル・レリスを描いた絵、行きつけの酒場の女性主人が亡くなったときに描いた絵、自分の肖像を据えたトリプティク、それぞれに何となく打たれる絵。
常設展にヨハネス・イッテンがあり、モノクロだがつい見てしまう。古賀春江もそうだけど零れるようなリリカルな感じが全部時代背景としては抑圧的な環境下で作られたものというのが、いいなぁと。
他に工芸館素晴らしい。なんか周辺の景色や走る人などが眩しいなかで花弁とか鳥の数羽と同じようなものに過ぎないのじゃないかという気分になる。

ルシアン・フロイドの肖像もあり何か同じようなパタンの認知回路なのかという事を頻りに思う。そして、絵の背後におかれた灰味の桜のような不思議な色が、ベーコンが家具職人として仕事をする際に多用していた色との事だが、なんだか妙にセンシュアルな色で、どういうものを作っていたのかがとても気になった。 ♪
関係ありそうでないがスエードのメタル・ミッキーという曲を思いだして。(ベーコン全然そういう感じがなく、やっぱり思弁的で絵画史に対する測量的な修錬の人でもあると強く思ったが、何となくグロくて過剰な感じの表出も表現と言えばそうなのだなと。アングラとか小劇団的なものなんて実はどうでもよく、頚椎が喘息の発作で分離するみたいに、思弁が分離的に在る感じしかわからないのかも知れない。
存在論的な部分でどうか、否応なく思い浮かべるということ。